第6部 戦後の開拓地で(5)

2007年05月31日 11:56

 1人1合の酒

 わずか1人当たり1合の酒の集合体に、あれほど男たちが歓喜し、陶酔する姿を見たことは、いまだかつてない。
 それも、まだ1滴の酒で喉を潤す前の状態であった。
 わたしが開拓地の用倉に上がって、間もないころだった。
 新憲法公布が昭和21年11月3日に決定したのを祝し、大人1人当たり日本酒1合の特配があると、父が顔をほころばしていた。 
 その日、バラック建ての用倉公民館に入ると、北方村の配給所から特配の日本酒を山まで背負子で運んできた男たち4、5人が、せわしなく活動していた。
 それぞれ1升ビンを抱え、中身を(記憶違いかもしれないが)酒樽だったか、何かの容器に空けているところだった。
 どの顔も喜色を満面に浮かべ、軽口や冗談が自然に口をついてでるのだろう、お祭りの準備でもしているかのように、心も弾んでいるのが伝わってきた。
 やがて、中身が空っぽになった1升ビンを逆さにし、最後の1滴まで吐き出さそうと、ビンの底をゆったり回し、試みて見せる男も現れる。
 そのうち、1升ビンの口からぽとりと1滴したたり落ちると、周りで見ていた連中が一斉に「おう!」と歓声をあげ、その男に喝采を送る。
 狭い館内は、無邪気な童心にかえった男たちの浮き浮きした雰囲気で充満していた。
 戦時中の標語をもじるならば、のん兵衛にとって、“酒の1滴は血の1滴”という趣だ。
 開墾に上がった男たちは、いつごろから酒を口にしていないのだろうか。
東京では、昭和21年の正月に酒1人5合(表参照。『復録版 昭和大雑誌 戦後編』流動出版)が配給されている。
 

 地域差はあるやもしれないが、おそらく山の男たちもこの年の正月以来か、さらには敗戦以来という人もいたに違いない。
 街中にいれば、懐と相談してカストリ焼酎などをあおることも出来ただろうが、山の中での暮らしでは、そんな機会はつくれないし、財力もなかったであろう。
(写真は『朝日クロニクル 20世紀』第4巻)

 満州にいたころの父は、戦時中でも酒に不自由することはなかったと思う。
 酒保(軍の売店)で配給されるほか、軍事郵便所に出入りする下士官連中が、1升ビンを提げてわが家に押しかけ、母の手料理でよく酒盛りをしていたものである。
 下士官でも曹長、軍曹クラスだと、酒保にいる同年兵に融通を利かしてもらい、酒を手に入れることが出来たらしい。
 「一つ 軍人は要領を旨とすべし」である。
 満州の海林(はいりん)で迎えた昭和20年の元日も、父の同僚らがわが家に集り宴会を開いていた。
 宴もたけなわなころ、朝鮮の京城から祖父の死を報せる電報が届いた。
 大みそかの大掃除中に急に頭が痛くなったというので、ふとんを敷いて寝かしていたら、そのまま息を引き取っていたそうだ。
 享年66。日本の敗戦を知ることなく、あっさりした死に方だった。
 わたしは、祖父のその遺伝子だけはぜひ受け継ぎたいと願っている。

 特配の酒は、開墾作業を終えた組合員が集って、ささやかな酒宴を開いたのか、それとも各戸に配分したのかは知らない。
 また、わたしがなぜ公民館まで足を運んだのか、その理由も思い出せない。
 だが、あの時のわずか1人1合の酒は、山の男たちにとっても、その後に味合うこともできない至福の味だったに違いない。


(『漫画昭和史 漫画集団の50年』河出書房新書)



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