第5部 ハルピン浮浪(16)

2007年01月27日 19:55

 コークス拾いで糊口をしのぐ

  あわただしくハルピンに帰ったものの、ぼくたちの居住区の引き揚げの順番はなかなか回ってこなかった。
 その間の食いぶちを稼ぐため母と一緒にコークス拾いを始めた。
 新香坊付近の八路軍が管理している兵営の近くに石炭ガラの山があった。
 そのガラの中からコークス状になったものを拾い集め麻袋に詰める作業だが、これまで満人の小孩たちがやっていたことを、ぼくたち日本人がまねるはめになったのである。 
 以前、中学校の寮のボイラーわきに積まれた石炭ガラの山を目指してコークス拾いに来た満人の小孩を追っ払っていたのは、ついこの間のことだった。
 八路軍の兵士に見つかると銃で威嚇されると聞かされていたので、おっかなびっくりで石炭ガラの山を掻き分けていたが、一度もそんな目にあうことはなかった。
コークス拾いが増えるのを牽制するため、だれかが勝手な噂を流したのかもしれない。
 拾ったコークスは、満人の大車(ターチョ)を拾い中国人街の飲食店などで売りさばいた。
 いつのころからか、市場では不思議な現象が起こり始めていた。
 満人から物を買おうと満州国紙幣を出すと、ほかの売り子たちが一斉に群がって来て、「我的(オーデ)のを買え」と、詰め寄ってくるようになった。
(満人の小孩たちは『写真集「満洲」遠い日の想い出』一色達夫、宇野木敏・編 KKベストセラー刊)

  それが前兆だった。
 次第にソ連軍の軍票の価値は下がっていき、ついには紙くず同然となったのである。
 日本人の多くはその兆候を目の当たりにしながら、軍票を使いきってしまうことができないでいた。
 消滅した旧満州国の中央銀行が発行した紙幣が、いつ使えなくなるかそちらの方が不安だったのだ。 
(大車は『満洲慕情 全満洲写真集(補巻)』満史会編 謙光社)
ところが、その満洲中銀の発行した通貨は、日本人の引き揚げた後も数年間流通していたという。
 そのころ満州では、貨幣相場の市場が連日ひそかに立ち、社会情勢で上下していたことなど、貨幣に敏感な中国人と違い日本人はまったく知らなかったのである。
 
旧満洲国幣に絶大な信用、ソ連軍票は紙くずに

 旧満州中央銀行(中銀)で紙幣発行の直接の責任者だった武田英克氏の著書『満州脱出 満州中央銀行幹部の体験』(武田英克著 中公新書)に、そこらの事情が書かれている。
 満州に侵入したソ連軍は、中銀から搬出した満州国幣を主として使用していたが、不足してくると百円札の増刷を強く要望してきた。
 満州国幣は日本内地の印刷局で製造したものを関釜連絡船で満州に運んでいたが、終戦直前、輸送の危険を考え、満州国印刷局で製造、自給自足していた。
 ソ連軍はそのことを知っての命令である。
 著者は、印刷機械と紙幣印刷の原版が、終戦直後の暴民の襲撃で破壊されて印刷は不可能なこと、紙幣を発行する満州国も中央銀行も、すでにその機能を喪失して発行する力がないことを説明し、断念するよう申し出、うやむやに過ごす。
  ソ連軍は結局、紙幣製造の計画をあきらめたが、代わりにソ連領チタで製造した赤い軍票を持参し、9月20日ごろから、円表示国幣と同価値で強制流通させた。
このチタ製の赤い軍票は、(長春から)ソ連軍がいなくなると、たちまち紙切れ同然となった。
 すぐ後で長春に入ってきた八路軍の場合も同じで、結局、通貨としてその後もしばらく流通したのは中銀の発行した国幣だけであった。
 中銀がいかに当時市民の信望をかちえていたかを証明する一つの事実である。

(満州中央銀行の写真は『満洲慕情 全満洲写真集』満史会編 謙光社)

 なお、大連では10月5日ごろからソ連軍の発行した軍票が出回り、100円が紺色、10円が桃色、5円がうす緑、1円が空色だった。
 この重みのない紙幣は中国人には悪評で、実質的にも価値は低く、朝鮮銀行券で100円のものは、軍票では120円を要求され、昭和22年には半額近くなった、という。
  ぼくはピンク色の10円札しか記憶はないが、地域によってソ連軍票の価値にばらつきがあったようだ。
旧満州国国務省の中国人の要人が、「日本人が満洲でやったよいことは3つある。 
それは治安がよくなり、交通が開け、幣制が統一された、この3つだ」と。
  満洲国建国以前の満州では、軍閥が勝手に紙幣を発行し、頭目はこの軍票で農民から農産物を力ずくで買い取った。
 満洲国ができてからは、紙幣は中央銀行券に統一されて各地で流通し、その信用は絶大であった。
 道路や鉄道ができて、奥地まで交通が通じ、治安がよくなると奥地の農民も農産物を町の市場に出して金にすることができた。
 その金も信用を政府が保証してくれるからである。
(上の写真は関東軍司令部『満洲帝国 北辺に消えた“王道楽土”の全貌』学習研究社)
東京九段にある九段会館や愛知県庁と同様の系譜を引く建築物


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