第1章 満州国崩壊の序曲(7)

2005年05月28日 19:30

  むなしい肉迫訓練
 
 <午前中 前日ノ任務ニ従ヒ服務、午後戦闘訓練並ビニ銃剣術訓練実施>
 学校では、ぼくたち1年生はソ連軍戦車に対する肉迫攻撃の訓練を受けた。
 生徒が所持する木銃では戦にならない。
 仮に、小銃を手わされたとしても、扱い方を教わっていない。
 非常事態発生時の即戦力としての用兵は、せいぜい地雷を抱えて敵戦車に飛び込む肉薄攻撃くらいしか考えつかないのであろう。
 記憶はあいまいだが、訓練は次のようでなかったかと思う。
 破甲爆雷に模した板切れを胸にかかえ、粘土のブロックで作られた模造戦車(大八車だったかもしれない)に向かって走り、一定の距離まで近づくと地面に伏せる。
 そこから腹ばいになり匍匐ほふく)前進する。

地雷

[左の写真は「吸着爆雷」]地雷の4すみに磁石がつけられ、上を通過する戦車の底に吸いつき爆発する。兵士がタコツボを掘って中にひそみ、通過する戦車の下にもぐりこんで、これを戦車の腹に吸いつけたが、兵士の生還は期しがたく、まったくの特攻だった。


 地雷には磁石がついていると想定して、戦車の下腹に吸着させて逃げ去る。
 こんなところでなかったか。
 地雷が爆発すると自分の身体も、こっぱ微塵みじん)に吹っ飛んでしまうなど毛頭浮かばない。
 頭の中はバーチャルの世界だから、板切れは板切れでしかなく、緊張感も悲壮感もわかないまま訓練にはげんでいた。
 訓練を見守っている陸軍少尉の軍事教官は、直立の姿勢で少し股を開き、軍刀のこじりを地面に突き立て、軍刀の柄の上に両手を乗せた姿勢でただ黙って立っていた。
 ときどき、教官の顔をうかがってみるが全く無表情。
 子どもの兵隊ごっこのような訓練など無駄だと、気乗りしないのか心ここにあらずといった風だった。
 いつもの教練の時のような厳しさがうかがえず、気合を入れられることもなかった。
 実際のところ、関東軍造兵廠が製造したソ軍戦車に対する肉迫攻撃用の急造地雷は、爆破試験の結果によると、ほとんど効果がなかったそうだ。
 全軍の志気に影響をおよぼすという理由で、そのことは厳秘に付されていたという。
 極秘情報であるほど、親しい仲間同士の間に自然と伝播していくのが常。
 教官殿も先刻ご承知であったかもしれぬ。  たいまこう  この地雷による肉薄攻撃の虚しさは、石頭セキトウ)陸軍予備士官学校生徒だった南雅也氏の『われは銃火に まだ死なず』(泰流社)に詳しい。
 牡丹江から東方20キロの磨刀石マトウセキ)で、8月12日から13日にかけての凄惨な戦いぶりを一部抄録すると、
 時速約20キロと推定される敵戦車は、穆稜ムーリン)からの道路上に黒々とひしめいて接近してくる。
 まるで黒い岩の塊のような戦車、あれがスターリン戦車というのか。
 また一瞬ものすごい閃光がひらめくと、黒煙が戦車におおいかぶさる。
 (やった、やったゾッ)激しく動悸が打ち鳴る。
 またまた小さな体が、パラパラッと飛び出した。四角い弾薬の箱を胸に抱きしめた戦友の姿(学徒候補生)。
 一瞬、天地の避けるような轟音が響き、黒煙の中に戦車が停止するのが見えた。
 だが何ということだろう。擱挫かくざ)したと思われた敵戦車が、再びグワッグワッと動き始めた。
最強の威力をもつ戦車であった。

 磨刀石の肉攻陣地を蹂躙じゅうりん)し、各地陣地・機関銃座を壊滅させたソ連機甲部隊のT34戦車は、俗に〝スターリン戦車〟の異名を持った当時世界 最強の威力を誇る戦車である。

戦車

 [ソ連軍のT34型戦車『<世界の>第二次大戦殺人兵器 写真版』(小橋良夫著)]



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