第5部 ハルピン浮浪(14)

2007年01月21日 14:42

  難民会の手引きで八路軍被服廠に強制留用

 『満洲は春なお遠く 19歳の新妻が体験した敗戦の真実』(加藤百合子著、かのう書店)の著者・加藤百合子さんは、昭和19年に軍医大尉の夫と結婚したばかりの新妻だった。
 敗戦翌年の昭和21年7月2日、著者は牡丹江省寧安の陸軍官舎から行動をともにしてきた川口主計中尉の奥さんと一緒に牡丹江の中国人の食堂で働いていた。
 その日の午後、難民会事務所の日本人が武装した数人の八路軍の兵隊を伴って店に来る。
 そして、「あんた達は八路軍へ入りなさい」
 「なぜ難民会の人が先に立って、八路軍には入りたくないとはっきり断った者の所へ、わざわざ八路軍の兵隊を案内して来るのですか」
 「あんた達はどうせひとり身で身軽なんだから、どこで働いても同じだろうが。八路軍はいま、被服関係の仕事をするミシン工を探しているんだ。日本人の女ならミシンを踏めないものはほとんどいないからね」
 あくまでも拒み続けたが、八路軍の日本人兵士で通訳役の男に拳銃の銃口を突きつけられ、兵隊たちに無理やり馬車に押し込まれてしまう。
 馬車は牡丹江の旧市街を走り抜け、半ば廃墟となった新市街を走り、やがて牡丹江駅に近い建物の前に止まると、「八路軍第一縦隊供給部軍需科」と大きく書かれた看板がかかっていた。

 珠河〈シュガ〉の被服廠で逃亡罪となった元開拓団女性3人も、同様な手口で強制留用されることになったのかもしれない。
 満洲西部のある都市の例では、居留民会を通じて中共軍に従軍する若い看護婦の徴用、慰安婦提供、労工供出などの難問が出ると、候補者選出の方針は、敗戦後に避難してきた独身の女、特に難民のうちから選ぶ。芸、娼妓、酌婦、女給、ダンサーなどの前歴を持つ独身者またはそういう前歴のある人妻。その次に未婚の女という順だった。
 同市では初め難民のために家を提供したり、仕事の世話をしたりして便宜を計った。その恩を売る態度である。
 半強制的に集められた従軍看護婦たちの中には制服を着た15、6歳の女学生から34、5歳の未亡人風の人たちまであったが、概して若い女が多かった。
 女学生たちはたいてい5、6人ずつかたまって眼を泣きはらし、中年の女は何か達観したような虚ろな眼をしていた。(『秘録大東亜戦史 満洲篇』「ひかれ行く女学生」小幡不三男著より)

 いやいやながら兵隊の後について仕事場へ行くと、老人のように見える者から、あどけない顔つきの少年までさまざまな年齢層の人たちがミシンを踏んでいる。
 その後、ハルピンから10人ほどの日本人女性がミシン工場へやってきた。
 牡丹江でも8月下旬になると、「9月には帰国できるらしい」という噂が日本人の間に流れる。
 著者の加藤さんたちは難民会が帰国者名簿の登録を始めたことを知り、全員そろって難民会へ行き名簿に名前を書き込む。
 ハルピンから応援に来ていた人たちは、元の居住区で帰国手続きをしなければならないと分かり、あわただしく荷物をまとめ供給部軍需科を去って行った。
 ところが、待ちに待った9月になっても難民会から乗車する日の連絡が著者たちのところへは来ない。
 難民会事務所に駆けつけると、いつの間にか帰国者名簿から名前が消されていた。
 「これは一体どういうことなんですか」
 著者は係員につめよる。彼は冷たい口調でこともなげに、
 「いま八路軍にとってあんた達は、必要な人員だから名簿からはずせと言って来た。気の毒だが今回はあきらめなさい」
 1年以上待ち続けた日本に帰る彼女らの夢は、八路軍の手で握りつぶされてしまう。
 9月なかば、奥地からせっかく牡丹江へ出てきたが、送還列車に間に合わなかった数人が供給部にやってきた。

 逃亡失敗と扇動者の裏切り

 11月に入ると、勢いをもり返した国民党軍に追われて、八路軍は奥地へ逃げ込むらしいという噂が流れ始める。
 いまさら奥地へ連れて行かれるのは絶対にいやだった。
 著者は敗戦直後から苦労をともにした川口さん、この被服廠で同室となった櫛田さんと3人で逃亡を決意する。
 12月になって、逃げるならいまだと判断した3人は、うまく抜け出し、「来吧(ライパ)」と言ってくれた化粧品店の親切な老主人を訪ねると、いやな顔もせず奥まった所にある知り合いの家にかくまってくれる。
 そこで八路軍の姿が街から消える日を待ったが、年が明けても一向に動く気配をみせないどころか、前より兵隊の数は増えている。
 金物屋で働いている櫛田さんにその後の様子を聞きに出かけた。店の裏手で立ち話をしていると、表の方で2、3人の聞き覚えのある声がした。はっとする間もなく店に入ってくる八路軍の兵隊の姿が見えた。
 3日後かくまってくれた老主人が、
 「八路軍がとうとう店にやってきた。もうどうにも仕方がない。没法子(メイファワーズ)」
 と肩を落として呼びに来た。
 1カ月もかくまってもらったのにこれ以上迷惑をかけることはできない。著者は素直に老主人の後に従う。
 被服廠に徴用される以前に働いたことのある化粧品店の前には、張指導員と武装した数人の兵隊にかこまれて、青ざめた川口さんが立っていた。
 部隊では逃亡した罪人として張指導員達幹部の取調べを受ける。
 その通訳は1カ月前、先に立って逃亡すると公言してはばからず、著者たちを扇動した日本人のI氏だった。
 取調べがすむと3階にある大根貯蔵庫に逃亡罪でほうり込まれる。
 3日目の夕方になって、やっと大根貯蔵庫から出され、張指導員の前に連れて行かれ、絶対に再び逃亡しないことを誓わされた。
(上の写真は『1945年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略』三五館)



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