第5部 ハルピン浮浪(10)

2006年12月25日 00:06

 肉団子と同じ値段で鉈(なた)を売る

 1カ月に一度、日曜日が休みとなり、猪口とぼくはソ連軍の軍票で30円の小遣いが貰えた。その日の朝夕の食事は、まっ白な饅頭(マントウ)と豚汁が食いたい放題だった。
 ぼくら2人は、休みの日は桃色のおもちゃのような10円札の軍票3枚を手に、露天市場に出掛け、油で揚げた肉団子風の食べ物を買って食べるのを楽しみにしていた。
 4つ切りの新聞紙を三角に巻いた袋に軽く入れてくれて1杯30円。それで1カ月分の小遣いは消えた。
 あるとき、いつものように市場に出かけようと表にでたら、前庭に柄の抜けた薪割り用の鉈(なた)が放置されているのが目に止まった。
 「これを市場で売って肉団子を買おうか?」                     
 猪口に話しを持ちかけると、彼はとんでもないという顔で首を横に振った。
 そのころのぼくは変な度胸がついていて、盗みに対する罪の意識もどこかマヒしていた。
 ハルピンにいて難民生活を経験していない彼の方がまともな精神状態なのだが、ぼくは彼の度胸のなさを腹の中で笑いつつ、ボロ布に包んで持ち出した。
露天市場に行くと、中国人の露天商に混じって商いをしている日本人が見つかった。 
(「露天市場」『臨時増刊 太平洋戦争 日本陸軍戦記』文藝春秋)

 地面に新聞紙を広げ、わずかな品物を並べているその男の前にかがみ込み、ボロ布に包んだ鉈を取り出した。 
 男はいきなり、「売り値はいくら?」と訊いてきた。
 値段は商人が決めるものと思い込んでいたぼくは、とっさの問いかけに大いにあわて戸惑った。
 そもそもどのくらいするものか皆目見当がつかないし、値段を駆け引きする才知もひらめかない。
 盗品だと見透かされないようにと思っているうちに、ついポロリと口からこぼれ出たのが「30円」。
 いつもの肉団子の値段である。
 「こういう物があったら、また持ってきてね」
 男はほくほく顔で、そう言った。
 「しまった! 100円といえばよかった。肉団子が3倍買えたのに」
 内心悔やんだが、いまさらどうにもならない。
どのくらいの値段が妥当なのか知らないが、100円どころか300円くらいで売れたのかもしれない。
 敗戦後の満洲は、ソ連軍の軍票の乱発で物価の高騰は激しく、食料品の場合10月ごろで戦時中の約10倍になったという。


(「埠頭区にある大市場(バザール)」『写真集 ああ北満 北小路 健編』図書刊行会)


 義勇隊員と朝鮮人助っ人

 帰りに公園の中の道を2人で歩いていると、前方の石段の上に4、5人の義勇隊員が腰掛けたむろしていた。
 これは“まずい”と直感したが、相手はさっきからこちらに気付いているらしい。今さら方向転換するのもまずいと思い、そのまま進んで行くと案の定、彼らはぱらぱらと石段から降りてぼくらを取り囲んだ。
 「満鉄と俺たちとは仲が悪いことは、お前知っているだろう!」
 その中のボスらしい隊員は、猪口に向かってさらに、
 「お前の着ている毛糸のシャツを脱いで行け!」
と脅した。
 花子(ホワーズ、乞食のこと)同然のぼくと違って、ハルピン市内の寮にいた彼のシャツは故郷を出る時に持ってきたもので真新しい。
 追いはぎの標的にされた彼は怯えながら、何とかこの場を逃れようと表情が焦っている。
 その時、向こう側の歩道で自転車を押しながら歩いて来る朝鮮人の男の姿が目に入った。
 義勇隊員の囲みから少しはずれた所に立っていたぼくは、朝鮮人に助けを求めても日本人同士のことだ、相手にしてくれるかどうかと迷っていた。
 すると突然、「助けて!」と恐怖におののいた声を張り上げ、猪口は脱がされたばかりの毛糸のシャツ片手で車輪のように振り回しながら朝鮮人に向かってと突進して行った。
 助けの手を伸べはしないだろうと逡巡していたぼくの思惑に反して、男は反対の歩道から自転車を引きながら義勇隊員の前にやって来た。
 ボスと見られる義勇隊員の前に立つと、
 「ニッポンチンガ、オナジニッポンチンノ、モノトッテ、トウスルンダ、コノパカタレ!」
 至極もっともな日本語を並べながら、思い切りほっぺたを引っぱたいた。

(「広告塔と婦人の群れ。樹氷が美しく、雪の白さが毛皮のオーバーの黒々とした色を引き立てている」『写真集 ああ北満 北小路 健編』図書刊行会)

 小気味よい音が静かな公園の中で鳴り響いた。
 1年前ならば朝鮮人が日本人を引っぱたくなど、あり得ないことだった。
 今まで彼らは理不尽な日本人に、これといった理由もなく暴力を振るわれていた。
 いまは敗戦国の日本人とは逆の立場にある。
 しかも、この場合は弱者の窮地を救う正義の味方なのだ。
 助っ人は大いに張り切っていた。
 ぼくたちがその場を離れた後も、伸び上がるような姿勢で数発ビンタを張っていた。
 義勇隊員らは何一つ抵抗できなかった。
 猪口は帰りの道々、ぼくをなじった。
 「君は囲みからはずれていたし、反対の道に近かったのだから、なぜ早くあの朝鮮人に助けを求めに行ってくれなかったんだ!」
 そこは当事者と傍観者との違いだろう。
 まさか朝鮮人が、日本人同士の争いに口出ししたり、助けてくれたりするなど思いもよらなかった。
 「溺れる者は藁(わら)をも掴む」
 脱いだシャツを握り締め、両手で犬掻きしながら朝鮮人のもとへ駆けつける様は、川で溺れているワン公のそのものだった。


(「冬の中央寺院」『写真集 ああ北満 北小路 健編』図書刊行会)



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