第5部 ハルピン浮浪(9)

2006年12月21日 14:37

 新しもの好きな満州の若旦那

 経営者であるジャングイは工場に顔を出すことはなかったが、弟と思われる人物が時どき来て工場内をなにするでもなくぶらついていた。
 こちらはジャングイと違い長身で愛想もよく、落語にでてくる新しもの好きの若旦那のような上調子の男だった。
 この若旦那風の男は、なぜか榎木さんに変な対抗意識をもっていて、「今度、おれはこんなことをやり始めた」と自慢をしにやって来た。
 榎木さんは「この満人ごときが」といった意識が強い人で、軽薄で成りあがり趣味の若旦那をことあるごとにからかっていた。
 ある日、いつものように榎木さんとぼくらが広い作業台の上でいつものように紙をさばいていると、
 「“イタイ、イタイ”ショマ(なんだ)?」
 と、聞きにやってきた。
 勘の鋭い榎木さんはすかさず、
 「お前は昨日、日本人の娘を買っただろう?」
 中国語で返した。
 若旦那は図星をつかれたのだろう怪訝な顔をして、こんどは猪口とぼくにかわるがわる「イタイ」の意味をきいてくる。
 「イタイ」は日本語で「痛い」だとしか答えようがない。
 榎木さんとぼくらが口裏を合わしていると疑っているのか、猪口とぼくにしつこく聞き返してきた。
 こちらは、ほかに答えようがないのでまるで禅問答のようなものだ。
 「イタイ」の意味を聞いただけで、榎木さんが自分の前夜の行動をどうして察知したのか不思議らしく、若旦那は首をひねりながら照れくさそうに去っていった。
 榎木さんには、その「乗馬姿が格好よい」と心をひかれた女子軍属がいたそうだが、その女性の消息はいまだにつかめないでいた。
 そのころのぼくは、「娘を買う」意味がよく飲み込めていなかった。
 いまになって榎木さんの心中を忖度(そんたく)すると、相思相愛の彼女が若旦那のような中国人に身を売るような破目に陥っていないかといった不安や、消息を知ることのできないもどかしさがよぎっていたに違いない。



 若旦那に英語で赤恥をかく

 性懲りもない若旦那は、今度は英語のテキストを持ってやってきた。
 「これからは英語が出来ないとだめだ。おれは今、英語の勉強を始めた」
 ぼくはいやな予感がした。
 こっそりその場を離れようとしていると、榎木さんに呼び止められてしまった。
 若旦那が持ってきたテキストを作業台の上に開いて、ぼくに読んでみせてやれと言う。
 榎木さんは、「満人」ごときが英語なんてこしゃくな、こいつの鼻を明かしてやろうという魂胆なのだ。
 ところが、お恥ずかしいことに、ぼくは中学校で英語をならっていなかった。
 前年入学の2年生までは英語のテキストもあり授業もあったが、ぼくらから中止になっていた。
 正確には入学当初に1、2回ほど英語の授業時間があるにはあった。
 英語の教師は関東軍派遣のY中尉で、最初の時間に「戦争をしている相手国の言葉を知らないで敵に勝つことはできない!」と力説した。
 それはわれわれにも、もっともなことだと説得力があった。
 しかしテキストはなく、教師が自分で黒板に絵を書き、それを英語でどう発音するかといった程度で終わった。
 そのY中尉が5月に原隊に復帰すると、後任は補充されず授業はなくなった。
 そんなことはともかく、いまさら榎木さんの期待に応えたくても、初歩のABCすらまともに習っていないのだ。
 正直に学校で習っていないと言いたかったが、若旦那の鼻を明かしたい一心の榎木さんの気持ちがひしひしと伝わってくるので、敵前逃亡するわけにもいかなくなった。
 窮余の策で、日本語化された挿絵を探し、その下に書かれた英語を「テント」だの「ペン」だの「インク」でごまかそうとしたが、相手はそれほど甘ちゃんじゃない。
 「お前は、本当に中学生だったのか?」
 若旦那は疑わしい目付きで、まじまじとぼくの顔を見つめた。
 がっかりした表情の榎木さんに、勝ち誇った顔を見せ悠々と立ち去って行った。
 落胆している榎木さんに申しわけないやら恥ずかしいやら、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。
 なぜ、ぼくたちの学年になってから英語のテキストもなく授業も中止になったのか? 自分の勉強嫌いを棚に上げ、この時ほど学校を恨み、悔しく思ったことはない。
 上級生たちはその年の6月、4年生の主力は満洲西部にある白城子の満洲航空平台飛行機工場に学徒動員へ、2、3年生は国境近くの開拓団に勤労動員に出かけたが、1年生は勤労奉仕も勤労動員もなかったので授業時間は十分あったはずだ。
 戦後、「わたしの中学校は校長が国粋主義者だったので、中学時代に英語を習っていない。だから、自分はいまも英語は苦手なんだ」と、うまく言い訳につかう人がいたものだ。
 ぼくたちの学校の校長もそれに近く、英語の授業は必要なしと判断したのだろうか。
 いま思い起こすと、原隊復帰したY中尉が最初の授業時間に英語の必要性を力説したが、その時の口調は激しく、英語廃止に抗議、憤慨していたようでもあった。
 その中学校で思い出に残っているのは、4年生の学徒動員の壮行会で、寮の前の広場で行われた“ファイア・ストーム”。
 
 ♪花もつぼみの若桜 5尺の生命(いのち)ひっさげて 国の大事に殉ずるは
  我ら学徒の面目ぞ あゝ紅の血は燃ゆる
 
 「学徒動員の歌」。その国難に殉ずる崇高な高揚感が耳の底に、炎のなかで時おり焚き木の弾ける情景がまぶたに、いまも焼き付いている。


(上の写真は『満洲の記録 満映フィルムに映された満洲』より 集英社発行)


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