第5部 ハルピン浮浪(4)

2006年11月25日 14:58

 過新年と餃子

 年末に年を送り、新年を迎えることを中国語で「過新年」と書くが、発音は知らない。
中国人は正月を餃子(ぎょうざ)で祝う。
 ここの鉄工所でも正月は朝夕2回、水餃子の食べ放題だった。
 その餃子だが、胃袋がすでに飽和状態になっていても、まだ飽きずに口へ運びたくなるほどうまかった。
 日ごろ高粱めしなど貧しい食生活だったからとは思えない。
 帰国して、いつごろからか母はここで覚えた餃子を正月に作るようになった。が、やはり満腹になっても次からつぎとあとをひくのである。
 母は自分のつくる餃子が本場仕込みで、それ以外の製法はすべてまがい物と決めつけていたから、このとき覚えた材料と味つけをほぼ忠実に再現していたと思う。
 ことに水餃子の生命線のひとつは皮にある。
 母は薄力粉と強力粉を混ぜ合わせたものを板の上でこね、それを適当な大きさにちぎって一枚一枚めん棒でくるくると円形にのばしていた。
 餃子の皮づくりはかなりの体力が必要なようで、母は晩年になって「餃子は今年で最後」とやめてしまった。
 この餃子がぼくたち兄弟の「おふくろの味」だが、食べるだけで製法を誰一人教わろうとしなかったので今は幻の餃子となった。
 ところで中国の豚は野猪(ヤーチョ)と言い、爪の部分を除いて捨てるところがないそうだ。
 皮は牛革の代用品だ。小学校が国民学校に名称が変わってからは“代用品”ばやりで、スケート靴や防寒靴などすべてが耐久性の劣る豚皮にとって代わった。
 頭や耳や豚足は食べたことはないが、中国人の飯店に行けば店先に並んでいた。
 また皮と肉の間の部位だ。スイカにたとえれば皮と果肉の間の白い部分にあたる。
 もちろん動物の部位だからスイカと違って弾力があり、にごった色をしていた。
これを鍋で煮込むと煮こごりのようなものができた。
 
 大人たちは中国の酒、チャンチュウ(老酒?)を飲むとき、これを一緒に食べていたようだ。
 チャンチュウはアルコール度数がかなり高く、チロリで燗をつけていると湯気の一部が薄い紫色の炎のようにゆれた。
 満洲にきたばかりの独身の同僚が、度数のきつい中国の酒を飲んで体をこわし、内地に帰ったと、父たちが話しているのを聞いたことがある。
 気候風土にあった食生活で体質を順応させることしなかったからだろう。
 そのころのぼくたちは、豚汁の中に浮いているサイコロ型の大きさの白い脂身を平気で食べていた。落花生のような味がした気がする。
 (上の絵は別冊1億人の昭和史 日本植民地[4]続満洲』「ボクがまだ子供で満州にいたころ 川崎忠昭<絵&詩>」毎日新聞社)/写真は『満州の記録 満映フィルムに映された満州』集英社)

 中国のトイレ雑話

  食べるほうはともかく、どうしても思い出せないのがトイレのこと。
 鉄工所の建物は3つの部屋に分かれていたが、入り口の部屋は住み込みの工員たち、次の部屋が厨房、一番奥まった部屋がぼくらに割り当てられていたが、どこにも便所らしきものはなかった。
 酷寒の中でも、みな屋外で用を足していたのだろうか。
 日々の行ないのに記憶のひだのどこにも残っていないのだ。
 屋内に便つぼを用意し、夜はそれを利用する中国人もいるらしいが、ここではそんなものは見当たらなかった。
 便つぼではこんな話を聞いた。
 中国戦線で、日本の兵隊が立派なうるし塗りの太鼓型の入れ物を見つけ、日本のお鉢と間違えて炊き立てのご飯を盛って食べていたが、これが便つぼだったと。
 用便のあとだが、ちり紙どころか新聞紙もないからそのままだった。
 非衛生的といっても、中国人には用便後、手を洗う習慣がない。
日本人のスパイが中国人に変装しても、いちばん見破られやすい行為が便所を出て手を洗うことだという。
 もうひとつは洗面器で顔を洗うときだ。日本人は両手を動かして顔を洗うが、彼らは水が飛び散らないように顔の方を動かすのだ。
 つい先だって新聞に、アジアや欧米で温水洗浄便座は売れず苦戦している、その理由として「コメが主食で便が軟らかな日本人に比べ、欧米人は便がポロポロだから紙でふけば十分だから」と。
そのころの食べもの事を考えれば、ぼくたちの便もおそらくウサギの糞のようにコロコロしていたのではないかと思う。
 中国人の幼児のズボンは、しゃがむと後の部分が割れて尻がはだけ、そのまま用が足せるようにつくられている。
立ち上がるとチャンと重なり合って、尻の部分がふさがる。
いちいちズボンを降ろしたり、親の手をわずらわしたりしなくても、ところかまわず好きなところで用を済ますことができるから便利である。
 彼らの便もポロポロ、コロコロだったのだろう。
 最近の北京市では、当局が五輪の招致成功以来、市民のマナー向上作戦に取り組んでいるそうだが、一向に減らないのが路上でのタン吐き行為だとか。
 市民のこうした悪習慣を是正しようと、これらの行為を厳しく取り締まる方針を打ち出したそうだが、60年以上経っても大衆の習慣を簡単に撲滅できないらしい。
(上の写真は『満州慕情 全満洲写真集 補巻』 満史会編/右は『別冊1億人の昭和史 日本植民地[2]満洲』 お正月には椀形の便帽児をかぶって<奉天> 毎日新聞社)


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://saro109.jp/tb.php/79-77997814
    この記事へのトラックバック


    最新記事