第5部 ハルピン浮浪(2)

2006年11月13日 15:45

 耐寒の秘密は大豆油の大量摂取か

 この鉄工所ではボイラーを製造していた。
 満鉄社員を5、6人も雇ったのは、大型のボイラーを受注したので製缶技術をもった工員が必要になったからだろう。
 住み込みの独身社員のほかに、30代半ばの妻帯者が1人ハルピン市内の自宅から通っていた。
 この男性は製缶作業全体を取り仕切る職長というのか、現場主任のような役割を担っていた。
 鉄工所の作業場は屋根も囲いもない屋外にあった。
 ハルピンの冬は零下37、8度を記録する。
 この酷寒のなかでは、こんな場景を見たことがある。
 作業場近くの資材置き場で、野良犬の舌が鉄パイプに張りついて、はずそうにもはずせず悲痛な鳴き声をあげながら懸命にもがいていた。
 パイプの下あたりに餌でも落ちていたのか、それをとろうと舌を伸ばしたところ瞬間接着剤のようにパイプに凍りついてしまったらしい。
 屋内でも、うっかりぬれた手で金属製の取っ手などに触れようものなら、磁石でひきつけられたような感じで張りつくことがある。
 鉄工所の工員たちはみな防寒帽に分厚いコートを着込んではいるものの、氷のように冷たい鉄板とパイプを相手に一日中屋外で作業していた。
 いま振り返ってみると、そのような厳しい環境に耐え得る体力は、日常の料理に大量の大豆油が使われていたからではなかろうか。
 中国人が大豆もやしを炒めるときなどの油の使いようは壮観なものだった。


(右上の写真はハルビン満鉄事務所。中央上は冬の松花江『写真集 ああ北満 北小路 健編』図書刊行会)


 同胞愛に欠ける現場主任

 ある日、設計技師という触れ込みで1人の日本人が鉄工所にやってきた。
 ジャングイは、その日本人に窓際の机でボイラーの図面を引かせてみた。
 設計技師が図面を作製して帰ったあと、ジャングイはその図面を元満鉄の現場主任に見せ採用するかどうかを相談した。
 現場主任は、自分はこんな図面など見なくても、頭の中でボイラーの構造を画くことができるから必要ないと自慢してみせた。
 かくして、かの日本人設計技師は不採用となった。
 生活に困窮している同胞を救えるせっかくの機会を、この自己顕示欲の強い男は 簡単に潰してしまった。
 一度、この人の家に招待されたことがある。
 敗戦後もそのまま自分の家に住んでいて、現地人の暴動やソ連兵のダワイをうけたことがもないらしく立派な家財道具がそろっていた。
 「うちの国民学校の息子は、満語をぺらぺらしゃべれるが君はどうか?」とか、家にある装飾品など何かと自慢好きの人であった。
 その後、また1人の日本人が電気溶接の仕事を求めて鉄工所にやってきた。
 この人は電器溶接の知識はあるのだろうが、現場の経験がまったくないようだった。
 溶接捧がアークを放つ前に鉄板にくっつき、やっとの思いで引き離したと思うと、また溶接捧がくっついてしまう、そんなことを何度も繰り返していた。
 懸命に悪戦苦闘している姿は涙ぐましいが、奮闘努力のかいもなく不採用である。
 敗戦で社会の体制や組織が跡形もなく崩壊した後の世で、手に職を持たないホワイトカラーが生活費を稼ぐために働き口を探すことは容易ではない。
 その点、女こどもは過去の社会的地位や面子にこだわりさえしなければ、お手伝いや雑用といった軽い働き口があるからまだましだった。



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