第4部 新香坊難民収容所(9)

2006年10月31日 14:10

 難民収容所を脱出

 ぼくたち3人を乗せた大車(ダーチョ、荷馬車)が鉄工所の前に止まると、ちょうどその場に居合わせた従業員たちが回りに集ってきた。
 荷台の上に横たわっていたぼくの容態がよほど悪く見えたのだろう、そのなかの誰かにかかえられ鉄工所の建物の一番奥まった部屋に運び込まれた。
 ぼくには新香坊の難民収容所を出て、ハルピン道外(ドウガイ)地区のこの鉄工所に着くまでの記憶はほとんどない。
  それどころか収容所の営門の前に母が手配して待たせていた大車まで、自力で歩いたのかどうかも覚えがない。
 たぶん母に背負われたのだろうと思う。
だが、満人の馭者(ぎょしゃ)が、一定の間合いで長い鞭を頭上に円を画くように上手に操り、凍てついた空気を切り裂いてパチン、パチンと鳴らす音は耳に残っている。
 いや、あの鞭のしなる特有な音も幻覚だったかも。
 高熱で無意識状態だったぼくは、母がハルピンまで働き口を探しに出かけたことにも気がつかなかった。
 道外の鉄工所では満鉄の若い日本人工員を5人ほど雇ったので、日本人の賄い婦が必要になったからであった。 
(上の写真は『満洲慕情 全満洲写真集』満史会編)

 2人の年子が相次いで死に、次いでぼくが高熱で寝込んだ。
 このまま収容所にいては一家の全滅は疑いない。
 母は収容所から脱出することに意を決したのだ。
 道外の満人のところで働くと聞いて、回りの人の中には日本人が踏み入ると二度と戻ってこれないような危険なところだから、思いとどまるよう忠告する人もいた。
 戦後の書物などにも、道外地区は路地の両側に売春宿や阿片宿が並び、アヘンの臭気がふんぷんと漂う薄気味の悪いところで、一般の日本人はめったに足を踏み入れない治安の悪い地区だと書かれている。
 だが、母はそんなことでひるむような女ではない。
 下の2人は満洲で生まれた子だから満洲の土に返すのは仕方ない。だが上の2人は何としてでも内地に連れて帰りたい(ぼくと勝三は朝鮮生まれ)というのが彼女の論理であった。
 宿舎のなかでは、ちょうどそのころ、「部隊長の奥さんが女子軍属を満人に売り渡そうとした」という噂が広まっていた。
 事実は、女子軍属の今後の身の上を案じ、仕事の世話を頼んでいたのかもしれない。
 どちらにしても、真偽のほどは分からない。
 変化の乏しい収容所の閉塞した社会のなかで過ごしていると、ちょっとしたきっかけで魔女狩りの対象をつくりあげ、仲間どうしで陰湿な噂をたてて心理的に追い込み、それで自分たちの心を満たす、ゆがんだ行動を起こすようになるものなのだろうか。
 数カ月あとであるが、女子軍属のひとりで看護婦だった女性とハルピンの街で偶然出会っている。
 八路軍(中国共産党が国府軍と共同して対日抗戦に当たっていたとき与えられた部隊名)の草色の制服と帽子に赤十字のマークのついた雑のうを肩から提げていた。
 ぼくに気づいた彼女は「あら!」と驚きの声を発したが、お互い次の言葉が浮かばないまま草色の姿はすぐ横の建物の中に吸い込まれていった。


(写真は『別冊 日本植民地史[2]満洲』毎日新聞社)


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