第4部 新香坊難民収容所(7)

2006年10月21日 17:23

 コックリさんと投身

 言われなくても部屋から出ていく気でいた。
 ぼくたちの寝起きしている個室には、部隊長さんの奥さんと一緒に5,6人の奥さんたちがつめかけてきた。(海林以来、既婚の女性たちはお互いを「○○さんの奥さん」と呼び合っていた)
 部隊長夫人のサイフのお金を盗んだ真犯人はだれか、これから「コックリさん」にお祈りし、お告げをもらう儀式が始まろうとしていた。
  この真犯人探しは、先の見通しもたたない不安な収容所生活の中で、ヤジ馬根性と好奇心旺盛な女性たちの退屈しのぎには格好の行事のようだった。
 せまい個室の空気は、これから真犯人が判明するのだという興奮からか、つめかけた奥さんたちの異様な熱気で、不気味な感じさえ漂ってきた。
 たまりかねて部屋を出ようとするぼくとすれ違いに、「油揚げ、ありました! お稲荷さんにお供えする!」、またひとりの奥さんが興奮気味に飛び込んできた。
 彼女はその横をすり抜けようとするぼくなど目も触れず、部隊長夫人に向かって一直線に進んで行った。
 収容所の正門前には、毎日、満人の売り子たちが群がり、ソーセージや菓子類などさまざまな食べ物を売りに来ているが、油揚げまではどうだったか。
 興奮の一部には“油揚げ”を手に入れるのに苦労した分も含まれているようだった。
 これは、ぼくの記憶の中にあとから出来上がった妄想かもしれないが、薄暗い大部屋では幼い女の子を負ぶった松本さんの奥さんが、思いつめたような姿で一人ぽつんと座っていた。
 ところで「コックリさん」現象は、この収容所だけではなかったようだ。
 不安の時代には迷信が流行するものである。(中略)いつ、誰が始めたのか、絶望の中で希望のお告げを求める「コックリ様」がおそろしい勢いではやりはじめた。
 苦しく、厳しい現実の中で、わずかながらも慰めと希望を抱かせてくれるためか、この、もともとは日本内地の田舎に伝わっていた土俗信仰は、たちまち安東(アントウ)の日本人社会にも蔓延していった。(『満洲、小国民の戦記』藤原作弥著 新潮社)

 「コックリさんて、よく当たるわね!」、「犯人はやっぱり、松本さんの奥さんだったのね」
 部屋に戻ると母たち数人の奥さんたちは、コックリさんのお告げが「松本さんの奥さん」だったことで納得し、いっそう確信が高まったようだった。
 真犯人が判明した余韻からか、顔の紅潮がなかなか失せそうになかった。
 それから数日して、松本さんの奥さんが幼児を負ぶったまま、炊飯場近くのつるべ井戸に投身自殺していた、という話が伝わった。

 

(写真、巻き上げ式井戸は『別冊 日本植民地史[2]満洲』毎日新聞社、冬を告ぐる雁は『満洲慕情 全満洲写真集』満史会編)


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