第4部 新香坊難民収容所(3)

2006年09月30日 16:32

 ひまわりの種と蒙古兵

 大豆運びの報酬は、酸っぱくて硬いレンガパン(黒パン)と、得体の知れない円形の揚げ菓子だった。
 レンガパンは、レンガのように硬いだけでなく形状も似ていたので、そう呼んでいたが味もこれまたそっけなく、初めは「こんなまずいもの」と思ったが、高粱がゆの口がなじむのは早かった。
 ソ連軍から支給されるのはレンガパンのかけらだけで、4、5個ほどの揚げ菓子は炊事のおばさんたちが材料を工面して作ってくれたものだろう。
  ひまわりの種も、このときに貰えたようだ。
 それを一粒ずつ前歯で噛み、中身を皮から取り出して食べていると、背の低い馬に乗った蒙古系の少年兵が、ぼくらの前にのっそりやってきた。
 蒙古兵はひまわりの種を数つぶ一度に口の中に放り込むと、しばらくもぐもぐさせたあと、皮だけを器用により分けプッと吐き出して見せた。
 脱穀機のような蒙古兵の口技に、ぼくたちはポカンと口をあけて見とれていた。
 それを何回かやって見せた後、口あんぐりの日本の少年たちを尻目に、蒙古兵はなに食わぬ顔で馬首を変え悠然と立ち去って行った。
 その間、蒙古兵はいっさい無言、無表情で、ぼくたちになにを誇示したかったのか、まったく意図をつかめなかった。
 蒙古兵が立ち去ると、ぼくたちも口の中に数つぶひまわりの種を放り込み、試してみたもののそんな器用な真似は不可能だった。
 それはともかく、使役を終えるとその日は高粱がゆのほかに、こうしたお駄賃を口に入れることができた。わずかな量の栄養補給であっても、リヤカー部隊の元気の源になっていたのだ。

 枯れ枝にゲートル

 大豆の搬出作業が終わると、次は隊舎を囲った鉄網状の外の畑でのビート(砂糖大根)や人参などの収穫と搬送だった。
 スコップを肩にした義勇隊員が四列縦隊で行進する後に、使役のぼくたちも続いた。
  義勇隊の最後尾に背のひょろ長い隊員がいた。ぼくのすぐ目の前を歩くその訓練生のゲートルを巻いた足を見ると、枯れ枝のように細いので驚いた。
 でん部やふくらはぎの肉は見事なほどそぎ落ちていた。それが被服の外からでもはっきり認められるのだ。
 人間はこんな状態になっても立って歩けるのか。“栄養失調”という実像を、初めて見る思いがした。
 義勇隊員たちの使役には、ソ連軍からレンガパンすら支給されないのだろうか。
 まだ16歳かそこらだろうが、「離れて遠き満州」へ送り出した内地の親たちが目にしたらどんなにか悲しむことだろう。
 畑に入ると、義勇隊員がスコップで掘り起したビートや人参などの根菜類を、ぼくたちは麻袋に詰め、リヤカーでソ連領につながる貨物列車まで運んだ。
 義勇隊員が指導員の叱責を受けたりしながら丹精込めて育成し、収穫した食糧はすべてソ連へ、ソ連へとなびいていくのだ。
 その中の一部でも収容所の日本人に残してくれていたならば、この後1年間に3,400もの墓穴が埋まることはなかったであろう。
(上の写真2枚は『写真集[満洲]遠い日の想い出』一色達夫、宇野木敏・編 KKベストセラーズ刊)


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