第3部 エミグラントとなって(6)

2006年09月16日 15:26

 男狩りの復讐

 早朝の出立だった。
 9月も中旬に入っていただろうか。新しく日本人の難民収容所になった同じ馬家溝(マチャコウ)区の花園国民学校へ全員引っ越すことになった。
  住みついたばかりの家を出ると、すぐ横手の道は陸橋に向けて緩やかな坂道になっていた。
 この家へたどり着いた時と同様、先導は男子軍属2人と部隊長婦人である。
 ぼくも来た時と同じように弟の晋を背にしていたが、雑のうの方は軍足の米がなくなり、ずいぶん軽くなっていた。
 皆のあとについてだらだら坂を登っていると、右手の欄干の下方にうず高く積まれたゴミの山が目に入った。ゴミの天辺には黒い満服姿の小孩(ショウハイ)が、無造作に投げ捨てられたような格好で乗っかっていた。
 何者か確かめるため、真上になるところまで来て見下ろすと、仰向けに放り投げられた小孩の腹部はガスで異様に膨れ上がり、満服の上着の掛け合わせボタンがいまにもはち切れんばかりになっていた。 
(写真は馬家溝の住宅地『写真集[満洲]遠い日の想い出』一色達夫、宇野木敏・編 KKベストセラーズ刊)

 まだ空は明けきっていなかったが、目をこらして見ると、どうも高橋のようである。
 集団の先頭を行く男子軍属は、「男狩り」の恐怖のせいか早足で、列はどんどん先に進んでいる。
 横に並んで歩いていた母は、立ち止まって欄干の下を見詰めているぼくに早く列に戻るよううながした。
 修を背負い勝三の手を引きながら歩いている母は、高橋は男狩りから帰ってきた日本人の男たちに毒殺されたのだ、と教えてくれた。
 高橋は男狩りが始まると、日本人の男の居場所をソ連軍に密告し、幾ばくかの報奨金を稼いでいたらしい。
 彼の密告で男狩りの被害に遭った男たちの復讐だという。
 記録によると、「男狩り」は8月23日から9月12日まであり、9月30日から10月25日の間に全員釈放されたとあるが、それ以前に途中で逃げ帰ったか、あるいは釈放された男たちもいたようだ。
 おばさんら大人たちは、高橋の行動を前から知っていたようだ。
振り返ってみれば思い当たるふしはある。
 御用聞きや買出しから帰って来たことを、ぼくが家まで告げに行くと、買い物を頼んでいたおばさんたちは玄関先へ一斉に飛び出してきた。
 彼女らは玄関の中を覗かれないよう、玄関先で高橋を押しとどめていたような気がする。
 はじめから、どこか胡散臭さを感じ取っていたのだろうか。
単純なぼくは、敗戦で自信を失った大人たちを尻目に、堂々とした態度で外を歩き 回っている高橋を、ちょっと自慢げにしていたところがあった。
 これは、彼に尋ねてみなければ分からないことだが、周りの大人たちに頼られ活躍していた、ここでのわずかな日々は、彼の人生わずか12年の中で元も光芒を放った華やかな瞬間だったのではないだろうか。
 平時に戻れば、彼はまた元の鼻つまみ者扱いされるに違いない。
 それにしても、戦後の動乱期を己1人の力で生き抜くための手段とはいえ、密告によって報奨金を得る嗅覚や才覚は、とても尋常の子どものものではないことは確かだった。


(ハルピン市街図)


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