第3部 エミグラントとなって(2)

2006年08月30日 10:42

 「ダワイ!」の夜

 ぼくたちの住み着いた家にも、日を置かずしてソ連兵が押し入って来た。
 「ここに日本人が住んでいる」と、若い朝鮮人と白系ロシア人の奇妙な組み合わせの2人組が彼らを先導してくるのだ。
 ソ連赤軍に対し恭順の意を表すつもりか、白系は赤い布切れをタスキに掛け、朝鮮は赤い切れの腕章を巻いていた。
 背の高い白系の方は銃身がとてつもなく長い旧式銃を、背の低い方は旧日本軍の三八式歩兵銃を持っていた。
  ソ連の下級兵士に忠誠を尽くして何の恩恵があるのかしらないが、粗忽(そこつ)な2人組みは、こちらにすれば迷惑千万な奴だった。
 玄関前に立つと、どちらかがドアを銃尻で荒っぽく叩く。
 錠を掛けたまま応じないでいると、外で三八銃を発砲し威嚇した。
 日本人が住み着いていることを確認済みでソ連兵を誘ってきたのだから、このままでは粗忽者も面目が立たない。
 「虎の威を藉る狐」だ。
 黙殺しているとますます荒々しくなり、ドアを破壊されかねない。
 ぼくたち家族の居場所は玄関口に一番近いところだったので、母がしぶしぶ鍵を開けに行かざるをえなかった。
彼らが連れてくるソ連兵は、いつも2人連れだった。
 次々とマンドリンを突きつけてはリュックや風呂敷包み、カバンなどの荷を広げさせ、目ぼしい物を「ダワイ!」していった。
 と言っても、避難民の集りだからどんな程度の物があったか知らない。
 母は、ソ連兵が来る前に手早くリュックの一番上に汚れたオムツを敷き詰めていた。
 彼らもオムツの汚臭は苦手なのか、ろくろく中身を調べもせず次へ移動した。
(ソ連兵<上下>のイラストは『大図解 世界の武器』上田 信著、グリーンアロー出版)


 不可解な女の心理

 ある日、母が隣の部屋の奥さんたち3人ほどを交え、ひそひそ話をしているのが耳に入った。
 昨夜、隣の部屋にいた女子軍属2人がソ連兵に連れ去られ、今朝方、顔を紫色に腫らして帰ってきたそうだ。
 「死にたい」という2人を、部隊長夫人たちが懸命に慰めているところだという。
 そのうち話題が変わって、クスクス笑いが起こった。
 「よりによってあの奥さんを?」
 部屋の片隅で臨月の奥さんが、正座したまま胴周り比例したリュックにもたれ、うたた寝していた。
 荷物と荷物の合間に人間がいる状態で、夜は手足を伸ばして寝られない。
 それに体が大儀なのか、彼女は昼間もそういう状態だった。
 時々そちらに目をやりながら、
  「ソ連兵もびっくりして、引っ張ってた手、離して行ってしまったの」
 「あの顔見たら、なんぼソ連兵でもね」
 「ソ連兵だって若くて美人の方がいいもんねぇ」
 確かに臨月さんは色黒で、ぼくが見ても田舎ッぺ丸出しといった雰囲気の女性だった。
 だが、昨夜この女性が本当にソ連兵に連れ出されそうになったかどうかは疑わしい。
 夜目だからといっても同じ部屋なのだから、いくら注意力散漫なぼくでも気付くはずだ。
 そんな気配を、ぼくは感じなかった。
 話はどうもねつ造ではないかと思えた。
 もし、事実だとしてもソ連兵の魔手から免れたのだ。安堵の胸をなで下ろしてあげるのが普通じゃないか。
 このおばさんたちの心理が、ぼくにはどうしても理解できなかった。

「日本人の娘は、ソ連兵に引っ張られそうになっても大声をださないから駄目だ。朝鮮人の女はそんなときは大声で喚き散らす」という人もいたが、そんな生やさしい相手ではない。
 (ドイツ戦線で)ソ連軍の1少佐はイギリスのジャーナリストにこう語った。「わが軍の兵士たちはセックスにひどく飢えていたので60、70、ひどいときは80歳の老女までをレイプし、おばあさんたちはびっくりした。まさか、喜びはしなかっただろうけど」
 大方の無教育な赤軍兵士は、性的に無知で、女性のあつかいかたも粗暴そのものだった。(『ベルリン陥落1945』アントニー・ビーヴァ―著、川上 洗訳、白水社)


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