第3部 エミグラントとなって(1)

2006年08月25日 11:42

 青天白日旗とソ連赤旗

 「満人たち、いつの間にこんなに沢山、旗をそろえたのかしら?」
 「日本が負けるの、だいぶ前から知ってたみたいね」
 うつむき加減に歩く集団の間から、悔しそうな会話が小声で聞こえてきた。
 ハルピン市街に入ると、街路の両側に立ち並ぶ建物の2階の窓という窓に蒋介石率いる国民党軍の青天白日旗と、ソビエト社会主義共和国連邦の赤地にハンマーと鎌と星の小旗が、そろいで、これみよがしにはためいていた。

   

  軒並みに掲げられた旗のおびただしい数を見ると、とても昨日今日でそろえることの出来る量ではない。
 彼らは早くから日本の敗戦に向けて、両国の小旗を量産していたのだ。
 道路の両側の建物までが、ぼくらの情報音痴をあざ笑っているかのようだった。
 自分たちが敗戦国民であることを、またも強烈に意識させられた。
 うらぶれた気持ちで集団についていると、修学旅行で見覚えのあるロシア寺院の前を歩いていた。(寺院の頭がねぎ坊主型だったかどうか思い出せないが)
 そのころ門前のベンチに白系ロシア人の年寄りたちが腰掛けている姿は、亡国の民(エミグラント)を象徴しているようで、どこか寂しげに見えた。
(上の写真は『別冊1億人の昭和史 日本植民地史[2]満洲』毎日新聞社)
 
 社会主義(赤色)革命で祖国ロシアを離れ、満洲国に亡命してきたロシア人。白系ロシア人は祖国を持たない亡国の民であるが、彼らの中には元政府高官や貴族出身の帝政ロシアを代表する人が多いと聞かされていた。

 そういう思い入れがあったからか、彼らには中国人相手のような蔑みの気持ちは沸かなかった。白人(西洋人)に対する気後れがあったかもしれぬ。
 いまは2年前とうって変わって、自分たちがエミグラント(漂白の民)となり、とぼとぼと寺院の前を通り過ぎている。わが身が信じられなかった。
 ハルピン市内の馬家溝(マチャコウ)という所まで来ると、年配の日本人男性に出会い、「元日本人が住んでいた空き家が、すぐ近くにある」と教えられた。(写真左は中央寺院『写真集 ああ北満北小路 健編』図書刊行会。中央は『満洲慕情 全満洲写真集 満史会編 補巻』。右の写真は『満洲昭和十五年 桑原甲子雄写真集』晶文社)

 男狩りと高橋との再会
 
 ぼくたちが住み着いた空き家のすぐ横の道を、雑のうを肩にした日本人の男が歩いていた。
突然、後方から猛スピードで走ってきたソ連軍のトラックが、急ブレーキでその横にぴたりと止まった。
 助手席からマンドリン(自動小銃)を肩に吊るしたソ連兵が飛び降りると、日本人の男に向かって一言か二言、あとは有無を言わせず荷台に押し込んだ。
ソ連兵のやることは何をやっても荒っぽい。
 トラックが急発進すると、ソ連兵は後方の荷台の枠に手を掛け走りながら飛び乗った。トラックは、乾燥した地面のほこりを舞い上げながら走り去った。
 あっという間だった。
 いつ表へ出て来ていたのか、野次馬根性旺盛な母たち3人の奥さんたちも、その場面を見ていたようだ。
彼女たちは、ちょうどそこを通りかかった若いソ連軍将校に、
 「兵隊さん、いま日本人が何も悪いことしてないのにトラックで連れていかれたから、何とかしてください」
 猛然と日本語でまくし立てた。
 若い将校は、ただ偶然ここを通りかかっただけなのだ。
 しかも、トラックの姿はとうに消え去っている。
 3人の女たちは、そんなことには無頓着で執拗に食い下がった。
 ものの道理が分からない異国のおばちゃんたちに取り囲まれ、将校は困惑した顔で手を横に振りながら、
 「俺にはわからん」と言った態度で逃げ去った。
(写真は馬家溝の住宅地『写真集[満洲]遠い日の想い出』一色達夫、宇野木敏・編 KKベストセラーズ刊)

 ハルピン進駐のソ連軍が日本人の「男狩り」を開始したのは8月23日から9月上旬にかけてである。
 理由は、日本軍の捕虜の人員数がソ連軍の見込みより少なかったための員数合わせのほか、軍需物資や食糧、機材など戦利物資のソ連への搬出積み込み作業など。
 年齢は16歳以上の男子が対象だということだが、年齢を確認することもなく、ソ連兵の見た目で判断していたという。
 この空き家に住み着いて以来、ぼくたちを引率してきた軍属2人と、高等科2年の長谷川の3人は天井裏に潜んでいた。
 長谷川は昨年末、海林国民学校の高等科1年に京都から転校してきたばかり。
ぼくと学年は1年しか違わないが、身体が大きいので16歳以上と間違えられる危険性があった。
 母たちが去ったあと、目の前に麻袋と杖を手にした高橋がひょっこり現れた。
ぼくたちの後をつけて来たわけでもなさそうだが、ねぐらがどこかはここでも教えなかった。


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