第2部 逃避行、見えない馭者(11)

2006年08月23日 13:16

 満身創痍の男と農民の群れ

 白く乾燥した砂ぼこりのたつ道を進んでいると、その先の方に畑のあぜ道と交差する地点があった。
 だんだん近づくと、細長い棒にやっとの思いですがりついて立っている1人の男の姿が目に入った。
 先頭の軍属2人がその側を通りかかると、男はしきりに頭を下げ、何かを頼み込んでいた。
 その男は軍属と同年輩くらいの日本人だった。
 中国人の暴徒に身ぐるみはがれたのだろうか、穀物用の麻袋を頭からすっぽり被り、両横のくり抜いた穴から手が出ていた。
 暴民に鎌や刃物で切りつけられたのであろう、小柄な身体が満身創痍(そうい)であることが、まとっている麻袋の粗い目からところどころ透けて見えた。
 精根尽き果てた顔の男は、同行を懇願していたらしい。
 軍属はそれを拒んだようだ。
 大勢の婦女子を引き連れているいま、健全な男なら頼もしい助っ人だが、歩くのもままならないようではかえって足手まといになるだけである。
 無理を承知の頼みだからだろうか、その日本人の男はあっさり諦(あきら)めたようだ。
 体の動きのままならない自分が、自身でも情けないのか、自嘲気味な笑みを浮かべ、寂しそうな表情でわれわれが先を急ぐのを見送っていた。
 貧困な中国人たちの被服に対する執念はすさましいもののようだ。
 ある開拓団で集団自決したあとの凄惨(せいさん)な状況について、次のような報告がある。 
(上の写真は『写真集[満洲]遠い日の想い出』一色達夫、宇野木敏・編 KKベストセラーズ刊)

「部落に急行したところ裸同然の血まみれの死体が山になっていました。中国の暴民たちが自決の直後にやってきて、暗闇の中、死体を1体ずつ引きずり出して衣服を剥(は)ぎ取っていったのでしょう。あまりのむごさに言葉がありませんでした」(『戦記クラシックス 満州国の最期 「満州開拓団27万人の逃避行」ノンフィクション作家 合田一道著』太平洋戦争研究会=編 新人物往来社)
それにしても、全身傷だらけの日本人の男が身にまとっていた麻袋はどこで手に入れたのだろう。
追いはぎにも情けがあって、衣服を奪った代償に投げ与えていったのだろうか。

非情だが、先の日本人を置き去りにしたまま少し進んだところで、前方の道路の両側に現地の農民たちが草刈り鎌など手に手に得物を持って、こちらの様子を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっているのに気付いた。
一本道なので、いまさら方向転換するわけにもいかない。
先頭はそのまま、道の中央を進んだ。
ぼくたちも農民たちと目を合わさないよう、うつむき加減に通り始めた。
先ほど衣服を剥ぎ取られた日本人を目にしたばかりだ。
恐怖心が先立つのか先頭の足がだんだん速くなり、次第に集団の列が伸びていく。
獲物を前に農民たちの目はランランと輝き、襲いかかるきっかけを待っている。
その中には、まだ10歳足らずとおぼしき少女が鎌を手に大人に負けない形相で混じっていた。
先頭は農民の列をやり過ごすと、急に早足になり、駆け足になっていった。
重いリュックを背に、修を胸に抱いた母は、風呂敷包みを手放すことなく、一方の手で勝三を引きずるようにして駆け出した。
後尾になりたくない! ぼくも晋を背に必死に駆けた。
 足の疲れや背中の重さなどの苦痛も疲労感もどこかへ吹き飛んでいた。
 息も絶え絶えに逃げ延び、たどり着いたところが川だった。
 めいめい、川水で喉(のど)をうるおす。
 集団の最後尾になった2人ほどが、リュックを鎌で引きちぎられる被害はあったが、全員怪我もなく無事脱出できたのは幸いだった。
 「あんたを海林で降ろさず、そのまま新京へ連れて行ってたら、姉(母)さんたちは満洲で死んでいたんよ」
 秀子叔母の言う通りである。もし、ぼくがいなかったら、母と弟3人はこの時、どうなっていただろうか。

 前掲の開拓団では、「途中、妊婦が道端で赤児を出産した。彼女は自力でへその緒を切ると、一行に遅れまいとして歩き出した。死にものぐるいの逃避行でした」(前掲『満州開拓団27万人の逃避行』合田一道著)

ぼくたちの集団にも臨月に近い腹を抱えた奥さんがいた。
この人もたくましい女性で、胴身(?)大のいかにも重そうなリュックを背に落伍することなく到着していた。

思い返すと、なぜあの農民たちは暴民化しなかったのだろう。
一斉に襲いかかられたら、ぼくたちは抵抗する術(すべ)がなかったのだが。
 あそこで待ち構えていた農民たちは、ほとんど夫婦連れだったようでもあった。
 いずれにしても、襲撃をためらった理由は、彼らに聞いてみないと分からない。

 とは言え、奥地の日本人開拓団の人びとの壮絶な逃避行を知ると、ぼくたちの遭遇した恐怖などは小屋掛けの「お化け屋敷」を通り抜けた程度のものに過ぎなかった。

 先の開拓団の状況をさらに続けると、
 晩秋になって開拓地へ戻って越冬する者が増えた。それをねらって中国暴民が押しかけた。
 「治安不良ニシテ掠奪、盗難、マタ婦女子ニ強姦、満妻ヲ強要セラル」
 という状態だった。(前掲『満州開拓団27万人の逃避行』下の写真も)
当時の中国の男が妻をめとるには、かなりまとまった金が必要だと聞いている。
その金がない貧民層の苦力や農民の多くは、生涯、妻を持つことができない。
それが、いまは彼らにとって妻を勝手気ままに強奪できる千載一遇の機会なのだ。
しかも高嶺の花の日本女性をである。


(『[写説]満州』[編]太平洋戦争研究会 [解説]森山康平 ビジネス社)

「ソ連軍首脳は日本軍・邦人に対する無謀行為を戒めあるも、現実には理不尽の発砲・略奪・強姦・使用中の車輌奪取等頻々(ひんぴん)たり……今や日本軍に武力なく、加うるに満軍警・満鮮人の反日侮日の事態の推移等、将兵の忍苦真に涙なくして見るを得ず……」(戦史叢書『関東軍?』)
これはまだ関東軍に対する強制連行が始まる前の8月23日付関東軍参謀長から東京の参謀本部宛の電報だ。
中国人、朝鮮人の手当たり次第の報復が日本敗戦と同時に始まった。


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://saro109.jp/tb.php/59-ef4a9d50
    この記事へのトラックバック


    最新記事