第2部 逃避行、見えない馭者(6)

2006年08月06日 13:50

 無警戒なソ軍少年兵

 乗り換えた列車は無蓋貨車だった。
 見張りのソ連の少年兵は、貨車の後方の端で後ろ向きに座っていた。
  鋭くとがった剣付き鉄砲の長い銃身を膝の間に立てて座り、組んだ足は貨車の外にだらりと垂らしていた。
 貨車の上の集団は婦女子だけにしても、あまりにも無警戒なその姿に少年兵の心理状態を疑った。
 誰かがちょっと少年兵の背中を後ろから突けば、間違いなく列車から転落するだろう。
乗っているのは敗戦国民で、しかも婦女子のみだからと高をくくっているのだろうか。
 一面坡に近い珠河街に着くと、同行していた部隊は武装解除され、兵隊たちはそのままウラジオストック経由で日本に帰還するとことになった。
軍事郵便所で顔なじみの兵隊が、
 「奥さん、お先に失礼します。日本に帰ったらまたお会いしましょう」
 喜色満面で挨拶に来た。
 母たちは、兵隊たちだけがなぜ先に日本に返されるのか、狐につままれたような 顔で別れの挨拶を交わしていた。
冷静に考えれば、軟弱な婦女子のみ残し、頑健な兵士たちを先に日本に帰すのは変ではないか。
 中には疑念を抱いた兵隊もいたのではなかろう。
 だが、「シベリア抑留」という不吉な予感が頭の隅をよぎったとしても、望ましくない予想は頭の中から遠ざけようとするのが人間の心理かもしれない。
 殿(しんがり)部隊の兵隊の話によると、海林軍事郵便所の建物はソ連機の爆撃を受けたが不発弾で天井が突き破られただけですんだ。
 また、中国人の暴徒が空き家になったわが家に向かって略奪に押しかけてきたが、機関銃による威嚇射撃で追い払ったそうだ。 
  ソ連政府が日本軍捕虜のシベリア移送を決定し、現地に命令が下ったのは8月23日とされるから敗戦後1週間ほど経っていたのだろう。
 珠河街で降ろされた婦女子一行は、駅近くにある元日本軍の兵舎跡に収容された。
 今後、自分たちがどのような運命に出会うか皆目検討がつかない。
 すべてはソ連軍の指示待ちだった。 
(『画報 現代史?日本近代史研究会編』日本図書センター)


 残留寮生は731部隊と釜山まで

 八月二十日(月曜日)

〈在通化関東局係官ノ承認ニヨリ国境通過、朝鮮内、平壌ヲ経由シ十九時釜山着〉

 列車に同乗を許された七三一部隊の兵隊の印象を、当時3年生だったM・T氏は同窓会誌の手記『昭和20年 夏』で、次のように綴っている。
同じ貨車に乗っていた兵隊は、話しかけるにも恐いくらいに表情の固い寡黙な兵隊たちだった。
 深夜、なんとなく騒がしい感じでふと目が覚めると、ロウソクの灯かりの中で酒宴の様子だった。
 それまで何かと突っけんどんで無愛想だった一人の兵隊が、あちこち凹んで薄汚れた弁当箱を片手に差し出し、「おい! 食え!」といきなり言い出した。
 弁当箱の中には大小不ぞろいのやや灰色をした塊が幾つか入っていた。
あまり唐突で不自然でもあり、毒でも入っているのではないかと、手を出さなかった。
  兵隊はこちらの気持ちを察したのか、自分からその塊の一つを口に抛り込むと「おい! 食え、旨いぞ!」とぶっきら棒に言った。
 しつこく勧められるので、止む無く礼を言って口の中に入れたら、舌に甘い香りがさっと広がる。
 以前、食べた事のあるブドウ糖の味だった。
 列車が朝鮮領内に入ると、平たい朝鮮家屋の屋根には、今まで見たことのない日の丸の国旗を改悪したような奇妙な旗が翻っている。
占いの筮竹を国旗の四隅に斜めに配し、真ん中の日の丸は電電太鼓と同じ赤と青の卍巴の図柄であった。
 見える限りの道という道は夥しい群集で溢れ、“マンセー! マンセー!”の大合唱が渦巻いてこだまし、口々に列車に向かって何かを叫んでは拳(こぶし)を突き出し、不穏な空気が立ち込める。
 列車は停車中も扉を固く閉ざしていた。
 列車が動き出すとソーッと細めに開け、外の様子を窺った。
 京城駅だったか、長い間列車が止まって動かない。
 その内に駅構内が騒がしくなり、細めに開けた扉の隙間から外を窺っていると、 “パーン”と乾いた銃声が一発。
 そして怒声とともに人びとの走り回る姿や、軍靴の音が構内を交叉し響きわたった。

(『別冊1億人の昭和史 日本植民地史[1]朝鮮』毎日新聞社)

 それからどれだけの時間がたったか、やっと列車が動き出した。
しばらくすると、奥の方から低いがはっきりした話し声が聞こえてきた。
 聞くともなしに耳を傾けると、
 「駅長の奴、軍の命令で列車の南下は止められているから、どうしても駄目だと言うんだ」
「駄目も糞もあるか! どうしても通るぞ!」、「いや、通せない!」、「通さないと、ぶっ殺すぞ!」
銃剣を突きつけて脅すと、奴さんしまいに震えながら、「もう勝手にして下さい! ぼくは知りませんよ!」と、泣きべそをかく始末で、少し可愛そうだったけど、こっちだって必死だからな。

 8月20日、夕方7時ごろ釜山着。
 列車の外に出ると、外はまだ明るく目の前には青い海が広がり、辺りは磯の香りに包まれていた。
 そしてそこには夥しい物資がそこら中に山と積まれ、ところどころ壊れた木箱の積荷の中からは真新しい軍靴が転がり落ちている。
 破れた麻袋からは大豆や高粱が足元を埋め尽くすように流れ出ていた。


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