第2部 逃避行、見えない馭者(3)

2006年07月29日 14:10

 
 ある開拓団の悲劇

 しばらくすると、国境近くのある開拓団の悲惨な最期が伝わってきた。
 話はこうである。
 その開拓団は避難の途中でソ連軍の戦車に追いつかれ、絶体絶命の状況に陥った。
 団員は全員、集団自決を決意する 自決するにあたって幼い子どもたちをどうやって死なせるかが問題となった。

(『戦記クラシックス 満州国の最期』太平洋戦争研究会編・新人物往来社)

 そこで考えついた手段が、まず携帯していた幔幕を野天に張る。
 鬼ごっこになぞらえて目隠しした子どもを、その中へ1人ずつ呼び込む。
 剣道の腕の立つ人が、その子どもの首を刎(は)ねていくという方法だった。
日ごろ子どもたちと仲のよかったおじさんが、幔幕の中から、
 「鬼さんこちら、手のなる方へ」 母親は目隠しした子どもに、
 おじさんが、あっちで呼んでるよ」
 涙をこらえ、突き放すようにして幔幕の中へ追いやる。
 幼い子どもは無邪気で、声につられて中へ入っていく。
 日本刀を振りかざして待ち構えていた剣道の有段者が、その首を一振りで刎(は)ねていったというのだ。

 
(左はソ連軍のT34戦車『<世界の>第二次大戦殺人兵器 写真版』小橋良夫著。右は『大図解 世界の武器』上田信著、グリーンアロー出版)

 幼い子どもはそれでだませたが、国民学校も上級の児童になると、敏感に感じ取っていたらしい。
  「おじさんたちは、ぼくら子どもを殺して、これからの日本はどうなると思うのか!」
と言い残し、大人をにらみつけながら、幔幕の中に入って行った男児がいたという。
話がそこまでくると、貨車内の大人たちは一様に、
 「さすが日本人の子どもだ!」
 健気な男児をほめたたえた。
  中学生でありながら、ぼくにはそのような立派な志操を持ち合わせていない。
その男の子に畏敬の念を抱くとともに、言い知れぬ劣等感にさいなまれ、貨車の隅っこでただ縮こまっていた。
(右上はソ連軍のT34戦車『<世界の>第二次大戦殺人兵器 写真版』小橋良夫著)


 残留寮生は特別軍用列車に便乗

 八月十五日(水曜日)

 〈○○○部隊軍用列車ニ便乗許サレ、十二輌ニ分乗、十九時吉林ニ入ル。同部隊連絡員ヨリ、皇軍無条件降伏、終戦大詔降下ノ報道伝達セラレタルモ、部隊側ノ要請ニヨリ一般職員、生徒ヘノ公表ヲ暫時見アワス〉                  
 便乗を許された○○○部隊軍用列車とは、ハルピン近郊の平房駅から発した防疫給水隊、すなわち「第七三一部隊」の職員たちを内地に送還するために仕立てられた特別列車であった。(この事実を知ったのは戦後のことである)。

 八月十六日(木曜日)

 〈深夜通化駅着。職員、生徒全員ニ対シ、駅ホームニ於イテ、全面降伏、戦争終結大詔煥発ノ件公表シ訓旨ス。軍事派遣教官、T軍曹以下八名、軍事教官K少尉計九名ノ原隊復帰告別式挙行〉

 この日、司令部に出頭するK少尉を除く、軍部派遣教官8名の間では原隊復帰について激しい論争があった。
 生粋(きっすい)の軍人で先任下士官であるT曹長(柔剣術・短剣術担当)は、
「われわれは関東軍に所属する兵隊である。関東軍司令部の許可なく朝鮮軍の管轄下にある朝鮮に入ることは許されない。直ちに原隊復帰すべきだ」と主張。
 これに対してN軍曹(東京帝大卒、国語担当)や、F軍曹(京都帝大卒、地理・歴史担当)、D伍長(東京物理学校卒、数学担当)らは、
 「軍派遣教官は関東軍の命令により星輝中学校に配属されたものである。あくまでも生徒を守って朝鮮に入り、無事内地まで連れて帰る。それが教員としての最大の責務だ」と反論した。
 論争の末、関東軍の中でも東満州一の銃剣術の達人とうたわれたT曹長の謹厳実直な意見に押し切られ、全員、やむなく原隊復帰と決まる。 
(上の写真は『[図説]満洲帝国]太平戦争研究会=編・河出書房新社)

 結果は、原隊にたどり着く前に新京近くでソ連軍の武装解除を受けることになり、そのままソ連抑留となった。
 N軍曹はM新聞社出身だけに、国際条約にも精通し、時局を見つめる目や情勢判断もT曹長より確かだったはずだ。
 が、軍隊の組織上、階級差はいかんともし難かったようだ。
 派遣教官たちは、生徒の乗る引き揚げ列車と通化(ツウカ)で別れ、新京で1カ月あまり軟禁された後、千名単位の作業大隊に転入させられた。
 T曹長以下8人の先生が、約30日間の貨車旅行で送られた先は、中央アジアのウズベック共和国、首都タシケントから100?あまりの山中に入った炭鉱町だった。
 そこで、T曹長は炭坑作業の大隊に移る。
 年配のD伍長は年長組に入り、他の先生より一足早く帰国。
N、F両先生もソ連抑留3年後に無事生還できたことは幸いだった。
 T軍曹も無事帰国されたが、原隊復帰に反対したN先生らと会われることもなく、われわれの同窓会にも出席されない。
 なお、原隊復帰組のうちO曹長(馬術担当)、H軍曹(歴史・作文)らの存否は不明のままである。(平成9年発行『星輝中学校同窓会誌』)



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