第1章 満州国崩壊の序曲(4)

2005年05月17日 14:20

  学徒遊撃隊結成
 
 ソ連軍参戦・満州侵攻の第1日目の9日、ぼくたち1年生は学校でなにをしていたのか全く記憶にない。
 「本校措置報告書」によると、
 <ソ連参戦・東満侵襲ノ報伝エラレルヤ、職員・生徒全員ノ非常招集ヲ決行シ、カネテ結成シアリタル、学徒遊動隊総隊ノ編成ニ基キ、在牡丹江学徒遊撃隊総隊長(星輝中学校長宇高少将)統率、大隊長(本校今江教頭)指揮ノ下、道場神前ニ於イテ、血盟式ヲ挙行ス>
編成
 かねてから有事の際は、牡丹江市内の学校の職員、生徒を招集し〝牡丹江学徒遊撃隊〟を結成することになっていたらしい。
 市内には、中学校が牡丹江中学とわが校の2校、青年学校が1校、国民学校(小学校)が3校あった。遊撃隊は、上記の学校の職員・生徒で、右表のように3個大隊を編成。
 
 <学校総隊長ノモト、兇敵撃摧ノ熱願ニ燃エ、勇躍戦列ニ参ジ、市民援護、学園死守ノ重責完遂ニ決死敢斗ヲ宣誓ス>

 遊撃隊員の年齢構成は、 12歳から16、7歳くらいまでの中学生と、10歳以上の国民学校児童だ。
 第二大隊(本校)の場合、6月に学徒動員令が発令され最上級生である4年生は、機甲班の20名を残し、満州西部にある白城子ハクジョウシの満州航空平台飛行機工場に出はらっていた。
 人員数は、1年から機甲班の4年生まで総員300名弱、大隊とは名ばかり1個中隊並みだ。
 手にする武器といえば、せいぜい木銃くらいである。
 ソ連軍が突入し市街戦が始まったばあい、徒手空拳にひとしい少年の集団が、勇躍戦列に参加したとて、どれほど抵抗できただろうか。
 とはいえ、沖縄戦では島の中学生や師範学校生は〝鉄血勤皇隊〟を結成、日本軍とともに戦闘に参加し、多くの生徒が散華している。

学徒動員

(写真は『満洲の記録 満映フィルムに映された満洲』より 集英社発行)


    自宅通学の朗報
 
 <寮生中自宅又ハ親戚ヨリ通学可能ナル者ニ対シ、帰宅ヲ命ズ>
 理由は、
  <時局ノ要請ニヨリ旧男子星輝寮ヲ軍病院(7月末、第5部隊野戦病院)ニ提供、元営林局庁舎ニ転居ノトコロ井戸水ノ湧出量乏シク多人数ノ炊飯著シク困難ナル上、新事態ノ発生ハ更ニ早急ノ方途ヲ必要トセラレタルニヨル >

 市内に自宅または親戚のある者、近郊より通学可能な者は即刻帰宅してよいことになった。
 牡丹江駅理由はなんであれ、ぼくにとって跳びあがるほどの〝朗報〟だった。
 時局がら、待ちこがれていた夏休みが返上となり、大いに落胆していたところだ。
 寮の食事は、朝はおかゆ、昼の弁当は毎日、判を押したように冷凍物の臭いの強い魚とひじきの煮付け。  弁当を左右に振ると、中身は3分の2か半分くらいに片寄る。
 4月に入寮して以来、慢性的な空腹に悩み、空腹はさらにホームシックを募らせた。 〝帰心矢の如し〟とは、まさにこのこと。
 授業が終わると一目散に牡丹江駅へ向かい、列車に飛び乗ると二つ目の海林ハイリン駅で下車、わが家へと急いだ。


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