第1部 運命、それぞれの岐路(13)

2006年07月11日 15:17

 空きビンと木銃で牡丹江防衛

 八月十二日(日曜日)

 <十五時三十分、敵戦車二輌、掖河(えきか=牡丹江市の東方五?)地区進入、機砲五十門磨刀石(まとうせき)進出ノ報伝達サル〉

 秀子叔母の家で一夜を過ごした翌日、郵政管理局に勤めていた叔母の夫、忠利(ただとし)叔父ら官舎の男たちは、火炎ビン用にサイダーまたはビールの空きびん2本と、木銃を携行するよう命じられ、「牡丹江市防衛」のために駆り出されて行った。


(『別冊1億人の昭和史 日本植民地史[2]満洲』毎日新聞社)

 空きビンは、ガソリンを詰めて火炎ビンとし、戦車攻撃用兵器として使うためのもの。昭和14年5月から9月にかけて「ノモンハン事件」の戦場で使われた原始的な兵器である。
 ソ連軍の新型戦車に対し、日本軍の対戦車砲はまったく役に立たない。火器の貧しい日本側の一兵士が考え出したのが火炎ビンだった。
 ガソリンエンジンを装備したソ連戦車の機関室は作戦行動中手がつけられないほど熱くなる。そこへ火炎ビンを投げつけると、たった1発でソ連戦車は炎上した。
(参考資料:『第二次大戦 殺人兵器』小橋良夫著 銀河出版)

 だが、それは6年前の話だ。
 ディーゼルエンジンのT34型戦車の出現には効果はなかったであろう。
 それに、火炎ビンも戦車に投げつける位置までたどり着けたらの話だ。
 満州国と外蒙古の国境紛争からはじまった「ノモンハン事件」を知ったのは戦後(『検閲された手紙が語る満洲国の実態』小林英夫・張志強共編、小学館) のことである。
 軍部の情報秘匿で、一般の日本人のほとんどがこの事件を知らなかったのではないかと思う。

 志田さんら軍部の家族が早々と避難して行ったことを、ぼくの口から聞いていたら、牡丹江防衛につくなどしなかったのに、と後に叔父は悔しがっていた。
彼らの行動がそれほど重大な意味を持っているとも気づかず、ぼくは叔母や叔父らに話していなかったらしい。
 市民の動揺をふせぐために「一般邦人は命令あるまで避難してはならぬ」と言いながら、一方ではこっそり軍の家族を疎開させていたのである。
 軍部は、この場合、一般居留民を早手回しに安全地帯に引き揚げることは、軍の企図を敵に暴露することになり、ソ連の進撃を誘発することになると考えていたようだ。

 自分の認識の甘さを棚に上げて言うのもはばかれるが、
 (ノモンハン)紛争過程における関東軍司令部の最大の誤算が、ソ連軍に関する作戦参謀の甘すぎる判断であった。
 (中略)敵戦力を軽視し、強い先入観にとらわれ、自軍の戦力を過信する作戦が、うまくはかどるはずがなかった。(『関東軍と極東ソ連軍』林三郎著 芙蓉書房)
 このような思考は、ぼくらの頭の中にも沁み込んでいた。
 なんの知識も根拠もなしに、関東軍を過信し、ソ連軍の戦力を軽視していた。
 ついでに書き加えると、
 ノモンハン事件から得られた一つの教訓は、日本人は境界についての意識がきわめて薄い、ということであった。
 その理由は、単一民族のため種族間、あるいは部族間の抗争の体験がなかったこと、周辺を海に囲まれて境界線というものを肉眼で見たことがなかったことに、つきるであろう。(『ノモンハン 元満州国外交官の証言』北川四郎 発行・現代史出版会 発売・徳間書店)

 間の抜けた「警戒警報」

 昼ごろになると、
 市長から、「邦人は婦女子にかぎり隣組単位で避難するよう」勧告があった、と叔父が連絡に戻って来た。
 新京方面へ避難することになるらしいので大切な家財道具は防空壕の中に隠して置くよう言い残し、再び出かけて行った。
 避難命令が下されると、官舎の中はいっぺんに落ち着きを失い、ざわつき始めた。
 夫を送り出した主婦たちは不安で家の中にジッとしては居られなくなったらしく、家の前に集まり、これからどうなるのか、あれこれ話し合っていた。
 遠くから爆弾の破裂音とともにソ連機の爆音が近づいてきた。
 空襲警報の予告はなかった。
 表にいた叔母たちは大あわてで防空壕に逃げ込んだようだ。
 家の中にいたぼくは、わざわざ防空壕まで避難するのが億劫でその気になれなかった。
 どこかで爆弾が炸裂すると、窓ガラスがビリビリと振動した。
 ぼくはその振動に、少々おびえながらも、関東軍の防空体制を信じていた。
 ソ連機が飛び去ってしばらくすると、かけっぱなしだったラジオが突然、
 「牡丹江方面空襲警報発令」
を報じた おや、またソ連機が来襲してきたのか。それともソ連機のスピードがあまりにも速かったので警報が遅れたのか、などと考えていると、
 今度は「空襲警報解除」を告げた。
 後手後手の報道を聞いていると、いままで信頼していた防空体制が急に不安になった。
 次に空襲があったら防空壕に飛び込もうと決めた。
 実際には前線との通信が途絶し、しかもソ連軍の戦闘機は国境を飛び立つと牡丹江まで20分足らずで到達できる。空襲警報など出す余裕もなかったのが本当のことらしい。



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