第1部 運命、それぞれの岐路(10)

2006年06月28日 14:24

  むなしい肉迫訓練

 八月十日(金曜日)

 〈午前中 前日ノ任務ニ従ヒ服務、午後戦闘訓練並ビニ銃剣術訓練実施〉

 朝、右肩からたすき掛けにした雑のうは、いつもより重みを感じた。
 この日は母の作った弁当が入っている。
 どんなに揺すっても中身が片寄ることはない。
 おかずは寮の冷凍物の腐ったような魚とヒジキの煮付けとは違うはずだ。
 久しぶりに満腹感に満たされ、はずむ心で登校した。
 寮では早めしだ。
 朝の熱いおかゆを早く食べるにはコツがあった。
 まず、おわん型の食器のおかゆを、ふちの方から箸で集める。
 ふちの方が早く冷めるので、それを口に流し込む。次は表面の薄い膜を集めて、それを口に入れる、といった具合に食べていく。

(寮の食堂と厨房)

 こうした知恵は誰からともなく授かった。
 今朝はそんなわずらわしさから開放され、ひさしぶりにゆったりした気分で朝食を堪能できた。
 余談だが、寮の朝食がおかゆになったにはわけがある。
 普通のご飯だと配ぜん当番の下級生は、上級生の食器には大盛りにする暗黙のルールがあった。
 その分だけ下級生の量が減ることなる。こうした悪弊をなくすため学校側が考えた策だと聞いた。
 学校では1年生は午後から、ソ連軍戦車に対する肉迫攻撃の訓練を受けた。
 記憶はあいまいだが、次のような形態でなかったかと思う。
 破甲爆雷に模した板切れを胸にかかえ、模造戦車に一定の距離まで走り、戦車の近くになると、銃口の死角を想定して地面に伏せる。


[上の写真は「吸着爆雷」]
地雷の4すみに磁石がつけられ、上を通過する戦車の底に吸いつき爆発
する。兵士がタコツボを掘って中にひそみ、通過する戦車の下にもぐりこ
んで、これを戦車の腹に吸いつけたが、兵士の生還は期しがたく、まった
くの特攻だった。(『世界の第二次大戦殺人兵器』小橋良夫著 銀河出版)

 そこから腹ばいのまま、腕のひじを使って進む匍匐(ほふく)前進に入る。
 粘土を乾燥させたブロックで形作られた摸造戦車の下に、地雷には磁石がついていると仮定して、戦車の下腹に吸着させて逃げ去る(?)。
 それを全員順番に繰り返していた。
 想像力のとぼしい僕は、地雷が爆発すると自分の身体がこっぱ微塵(みじん)に吹っ飛ばされるなど毛頭浮かばない。
 僕にとって板切れは、板切れでしかなく、緊張感も悲壮感もわかないまま訓練にはげんでいた。
 訓練を見守っている陸軍少尉の若い軍事教官は、直立の姿勢で少し股を開き、軍刀のこじりを地面に突き立て、柄の上に両手を乗せた姿勢でただ黙っていた。
 ときどき、教官の顔に目を走らせて見るが、全く無表情。
 子どもたちの兵隊ごっこのような訓練など無駄だと思っているのか、気乗りしないようすだった。(右のイラストは『戦争案内』戸井昌造著・平凡社)
 普段の教練の時のような厳しさがうかがえず、気合を入れられることもなかった。
 関東軍造兵廠が製造したソ連軍戦車に対する肉迫攻撃用の急造地雷は、爆破試験の結果によると、ほとんど効果がなかったそうだ。
 全軍の志気に影響をおよぼすという理由で厳秘に付されていたという。
 極秘情報であればあるほど、親しい仲間同士の間で口から口へと伝わるものである。
 教官もすでにその情報を知っていたのかもしれない。

〈敵機上空偵察頻繁、東満侵襲、ソ軍国境突破、綏陽(スイヨウ)、東安(トウアン)地区侵入ノ報至ル〉

 牡丹江から東方20?の磨刀石(マトウセキ)で、12日から13日にかけての石頭(セキトウ)陸軍予備士官学校生徒の凄惨(せいさん)な戦いぶりが、このことを証明している。
 時速約20?と推定される敵戦車は、穆稜(ムーリン)からの道路上に黒々とひしめいて接近してくるのだ。
 まるで黒い岩の塊(かたまり)のような戦車、あれがスターリン戦車というのか。
 (中略)また一瞬ものすごい閃光(せんこう)がひらめくと、黒煙が戦車におおいかぶさる。
 (やった、やったゾッ)激しく動悸が打ち鳴る。
 またまた小さな体が、パラパラッと飛び出した。四角い弾薬の箱を胸に抱きしめた戦友(学徒候補生)の姿。

 一瞬、天地の避けるような轟音(ごうおん)が響き、黒煙の中に戦車が停止するのが見えた。
 だが何ということだろう。擱挫(かくざ)したと思われた敵戦車が、再びグワッグワッと動き始めた。(『われは銃火に まだ死なず』南雅也著 泰流社)
磨刀石の肉攻陣地を蹂躙(じゅうりん)し、各地陣地・機関銃座を壊滅させたソ連機甲部隊のT34戦車は、俗に“スターリン戦車”の異名を持った当時世界最強の威力戦車である。
[右上の図はIS3(スターリン?)『図解・ソ連戦車軍団』(並木書店)]

〈軍関係者並ビニ満鉄社員子弟ニシテ父兄同伴疎開願出者ニ対シ之ヲ許容、併セテ南満地区父兄居住ノ生徒ニ緊急帰省手配〉


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