第9部 技能者養成所(10)

2008年04月19日 09:34

 気の重い夕暮れの帰り道

 学校の時も工場実習の時も始業時間は午前8時だったから、毎朝6時前には家を出ていたはずだ。
  朝、家を出ると、自転車を預けてあるふもとの農家(山下宅)まで4?の山道を徒歩で下り、そこから本郷駅までの5?を中古の自転車で走った。
 学校のときは本郷駅からひと駅東の三原駅で、工場実習のときはその次の糸崎駅で下車する。
 養成工1年前期のころは、サンマー・タイムで標準時間より1時間繰り上がっていたこともあり、夕方、家に帰り着いても外はまだ明るかった。
 サンマー・タイムも9月に終わり、後期に入ると日足は目に見えて短くなる。
会社の帰途、本郷駅からふもとの山下さん宅にたどりつくころには、すでに外はたそがれている。
 自転車を預け、山の入り口にさしかかると、山林の間を通るせいか、暗さがだんだん増してくる。
 ただ、山道とはいえ荷車がすれ違うだけの幅があるので、足元は広くはっきり見えた。
 坂道を少し上がり、カーブになった辺りから右手を見下ろすと、眼下に広がる田んぼのあちこちに農家の明かりが灯っている。
 小学生たちが口ずさんでいた童謡、「あの町、この町」の哀調を帯びた歌詞が、ふと思い浮かぶ。
  ♪……だんだんお家が遠くなる、遠くなる、いま来たこの道帰えりゃんせ
 わたしの場合は、日が暮れても“いま来た道”を引き返すわけにはいかない。
 人里恋しさを募らせる人家の明かりを背に、どんどん遠ざかって行かねば、自分の家にはたどり着けないのだ。
 人っ子ひとり通らない夜道の静けさは、なんとなく不気味で気を重くする。
道の横手の森の中で、ガサッと小さなもの音ひとつしただけで、ドキッと肝を冷やす。
 2年前の盆休みの、川上弟のことを思い出す。
 尾道から最終列車で1人だけ帰った彼が、真っ暗になったこの道を、大声で泣き叫びながら上ってきたという話だ。
 山の夜道は理由もなく恐怖を誘う。
 その恐怖心をまぎらわすためには大声でも張り上げたくなる、その気持ちはよくわかった。
 わたしたちの入社条件は「自宅通勤可能な者」であったから、気の重い帰りの夜道を避けるすべはない。
 そう諦観(ていかん)していたら、思いもかけない朗報が耳に入った。
(絵は『谷内六郎展覧会《秋》』新潮文庫)


 4年半ぶりの電灯と畳のある生活

 ブレーキ工場で一緒に実習を受けていたNが、会社の寮に入ったと言う。
 彼は三原市内で下宿していたが、下宿先との関係が思わしくなくなったらしい。
 学校に相談すると、簡単に入寮の手続きをとってくれたそうだ。
 わたしも、早速、入寮を願い出ると、これもあっさり認められた。
 寮棟は学校と廊下で続いていたが、それまでまったく気がつかなかった。
 入寮してみると、養成工だけの部屋が3部屋ほどあり、2、3年生が各部屋に割り振られていた。
 われわれの前までは、養成工でも入社時から寮に入れたのである。
 入寮したその夜、3年生の室長は「これからちょっと用事がある。帰ってきたら、ほかの部屋に紹介しに連れて回るから、それまで部屋で待っていてくれ」と言い残して出て行った。
 同室の2年生が1人部屋に残っていたがおとなしい人で、何も話しかけてくれない。
 わたしは部屋の隅っこで正座し、かしこまって室長の帰りを待っているしかなかった。
 しばらくすると、部屋の障子が開き3年生の1人が入ってきた。Iだった。
 Iと言えば、学校では講堂の卓球台の周りにたむろしているチンピラ連中の1人で、われわれ1年生から恐れられていた。
 やせぎすで小柄な方だが、気性は激しかったようだ。
 とにかくこれは、まずいと思った。案の定、予感は的中した。
 「おどら(お前)、こんど寮に入ってきた1年生か。なんで、わしらんとこへ挨拶にこんのじゃ!」
 直立不動の姿勢で壁に押し付けられ、あわやビンタと覚悟したところへタイミングよく室長が帰って来てくれた。
 「I、わしが悪かったんじゃ。わしが帰ってきてから、皆の部屋に挨拶に連れて行こう思っとたとこなんじゃ。許しちゃってくれ」
 その言葉で、Iはあっさり機嫌を直した。
 新入りの1年生を、一度おどしておきたかったのだろう。
 本気で手を出す気はなかったようだ。
 ようやく、電灯の灯る畳の上での生活に復帰できると思った矢先に、妙な洗礼を受けるところだった。
 思い起こせば、昭20年8月9日、ソ連軍の満州侵攻によって逃避行を始めて以 雨漏りの心配もない、電灯と畳のある生活に戻ることができたのは……。
 年明け後だったと思う。会社で大量の人員整理が行われた。
 そのおり、Iらを含む3年生の不良連中は卒業を待たずに一掃されていった。
 学校側は、1年生を恐喝して金品を奪ったり、私的制裁を加えたりした3年生を的確に把握していた。
 帽子をアミダにかぶり、不良のボスたちの指名で1年生を教室から連れ出していたチビもその中に入っていた。
 後にこの男と町ですれ違ったことがある。さすがにグツ(バツ)が悪いのだろう、目をそらし、うつむき加減に去って行った。
 誰かの話では、彼はいま醤油工場で働いているということだった。
(上の写真2枚は『動輪』大野毅一、光村推古書院)



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