第9部 技能者養成所(8)

2008年03月05日 19:56

 工場実習はタガネとヤスリの練習から

 三菱重工三原車輌製作所の工場は、国鉄の糸崎機関区がある糸崎駅に隣接していた。
 機械工と仕上工の職種に割り当てられた生徒の実習場は、ブレーキ工場の建屋の一角にあった。
 機械工と仕上工は、機関車のほかにブレーキにも各2名配属されていたので、この実習場にはクラスの半数近くがいた。
 指導員は、機械工担当と仕上工担当の2人だった。
 仕上工の実習の手始めは、タガネ(鏨)とヤスリ(鑢)をの使い方だった。
 タガネの場合は、バイス(万力)に挟んだ鋳物のブロックを、15?ほどの長さのタガネではつっていく(削る)練習である。
 片手ハンマーを振りかざして、手に握ったタガネの頭を力いっぱい叩き、鋳物をハツっていくのだが、目はタガネの頭でなく刃先に集中しなければならない。
 ところが、刃先に目をやっていると振り下ろしたハンマーがタガネの頭をはずれ、タガネを握っている自分の手をしたたかに打ち付ける。
 金槌で自分の手を叩くのだから、その痛さといったらたまったものでない。
 空振りを恐れて力を加減したり、タガネの頭の方に目をやっていては、刃先の方がおろそかになり、一向に作業ははかどらない。
 慣れないパソコンのブラインドタッチと同じである。
 それを、仕上工の指導員は、タオルで目隠しをして実技を見せてくれたが、さすがだった。
 肩の後方から大きく振り下ろしたハンマーは、的確にタガネの頭をとらえる。
 刃先は見えないはずだが、握ったタガネの感触で分かるのだろうか、きれいに鋳物をハツっていくのだ。
 熟練工の技能のすごさに感じ入った。
 だが、そんなことで驚いているようではまだまだ。
 戦前は神話として残るような特技の持ち主が、あちこちの工場にいたそうだ。
 これは名古屋で、戦時中、ゼロ戦の製作に携わっていた人から聞いた話である。
 ゼロ戦時代のころ、エンジン工場に「エンジンの神様」と呼ばれる伝説の人がいたそうだ。
 この伝説の人は、飛行機のエンジンの音を聞くだけで、不具合の個所を的確に見つけるという。
 たとえば、エンジンを10台ほどずらっと並べた中央に椅子を置いて座り、エンジン音を耳にしながら、右から何番目のエンジンのどこそこのボルトがゆるいといった具合に、不調な部分を適切に指摘し、直させていくのだという。
 わたしが知っている現存者では、数学の神様と呼ばれる人がいた。
 この人は数学の知識だけでなく、計算尺1本でどんな複雑な計算もこなし、メモリを正確に読み取る特殊技能を持っていた。
(エンジンの写真は『三菱航空エンジン史 1915~1945』三樹書房)


 実習場の常備薬は赤チン

 実習場には指導員の机の上に、常備薬として赤チンが置かれていた。
 空振りしてハンマーで打ちつけた自分の親指と人差し指の付け根あたりに赤チンを塗りつけるためだ。
 痛み止めの効用などまるでなかったが、気休めのようなものだった。
 その点、ヤスリはタガネではつった後の鋳物の面を平に削っていく作業だから、痛い目に遭うことはない。
 ヤスリは「腰振り3年」といれう。
 ヤスリの技能を習得するには、それだけの年季がかかるという意味らしい。
 鋳物などのヤスリかけでは、そのときできる鋳物の粉で作業着が黒々と汚れる。
 作業着の汚れの程度で、われわれは実習をまじめさを現している積もりでいた。
 ところが、元海軍工廠にいたという工員によると、それはまったく逆で、「作業服を汚す奴は仕事が下手な証拠だ」と、叱られたそうだ。
 仕事のうまい人の作業着は、部分的でそこ以外は汚さないそうだ。
(ハツリの姿勢、タガネ、ヤスリかけは『技能ブックス7 手仕上げのベテラン』大河出版)


 工場で真剣そのものFに近寄り難さを感ず

 実習では仕上工も機械工と入れ替わって、旋盤やフライス盤、ボール盤など一通り機械の実習を受けた。
 その逆に機械工も仕上げの実習に時間をあてられた。
 工場の勤務時間は、朝8時から昼の1時間の休憩をはさんで午後4時までが定時である。
 午前中の4時間、午後の3時間ぶっ通しでの実習はきつい。
 指導員は頃合いを見計らって、実習時間中に時々、休憩時間をつくってくれた。
 工場の敷地の大部分は埋立地だから海辺に近い。
 休憩の間は、海の香りのするそこら辺の雑草の上に、へたり込んで疲れを癒すことが多かった。
 その休憩中に、誰かがクラスの異端児、Fのいる鋳物工場をのぞきに行ってみようと言い出した。
 鋳物工場には、Fのほかにもう1人、Eが配属されていた。
 工場の建屋に入ると、どろどろに溶解し赤黄色になった鉄の溶液が入った鉄製の重いバケツをFとEの2人が前後になって棒でかつぎ、砂の鋳型まで運んでいた。
 玉のような汗が噴き出たFの顔は、日ごろの学校と違い真剣そのものだった。
 うっかり注意を怠ると、超高温の溶鉄による危険が待ち受けているのだから当然であった。
 2人はわれわれの姿に見向きもしなかった。
 鋳物工場では、実習は即現場の仕事のようだった。
 EはFと違って普段から無口で、まじめそのもの生徒だから意外感はなかったが、Fのまじめな一面を垣間見ると、わたしたちの方がかえって気まずい思いになった。
 軽い気持ちでのぞきいったわたしたちは、彼らに声をかけるのもはばかれ、目を合わすことなくその場を立ち去った。


(『三菱重工名古屋航空機製作所25年史』より)





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