第7部 村の新制中学校(10)

2007年10月13日 10:51

 文学青年の教師と学芸会

 昭和21年2月に始まったNHKラジオの平川唯一の「英語会話」が、当時は大人気だったとというが、わたしは一度も聴いたことはない。
 電気のない山での暮らしだから当然のことだが、証城寺の狸ばやしの曲で歌うテーマソングの「カム カム エブリボディ」は、不思議に耳に残っている。
 初めて英語を学ぶ生徒たちを、英語になじますための配慮からなのか、音楽の先生の指導で「ツインクル ツインクル リトルスター」と、幼稚園児のように歌わされたことがある。
 「カム カム」もそのついでに教わったのかもしれない。
 音楽といえば、戦時中は「ハニホヘト」に変えられた音階が、それ以前の「ドレミファ」に戻っていた。
 「ハニホヘト」には始めから違和感を感じていたので、なぜかしらホッとした。
(右図は『昭和二万日の全記録』講談社)
 
 科目名は忘れたが、文学青年タイプの先生の授業では、竹山道雄の『ビルマの竪琴』とか、ゾルゲ事件の尾崎秀実が妻娘と交わした獄中書簡集『愛情は降る星のごとく』など、教材外の本を取り上げることが多かった。
 おそらく、時の話題になっていた本であろう。
 6・3制の初年度で教科書が間に合わなかったのか、それとも教師の自由度が大きかったのか、その辺の事情はよくわからない。
 アメリカの雑誌『リーダースダイジェスト』の日本語版では、後に映画化された「1ダースなら安くなる」を取り上げ、主人公の発想と行動の面白さを紹介し、解説してくれたが、どんな内容だったかは思い出せない。
 文学青年の授業に不満はなかったが、学芸会の劇用に『リーダース』からストーリーを選び、意志薄弱な少年役をわたしにあてがわれたのには参った。
 ひと一倍照れ性のわたしには、人前で劇を演じるなど恥ずかしくて出来ない相談だし、性格的にもそういうことはもっとも嫌いで、不得手するところでもある。
 それが分かっていても、断る勇気がなく、しぶしぶ引き受けてしまった。
 案の定というか、劇が始まると舞台の袖からクラスの女生徒が声を殺して、「声が小さいよ!」、「後のひとたちに聞こえないから、もっと声を大きく!」。
 たびたび伝えにきたが、最後まで席に声は届かなかったらしく、気をもんでいた女生徒の表情が、困惑から失望へと次第に変わっていった。
 意志薄弱なところは少年役にピッタリだが、これほど頑固な照れ屋を配したのはミスキャストだったと、先生は後で悔やんでいたに違いない。

 生徒のまじめ・ふまじめ、3つの判別基準

 新制中学になってから通知表に席次が記載されるようになったが、わたしたちのクラスでお互いの席次を意識するとか、成績を競い合うといった雰囲気はなかった。
 男子生徒に限ってかもしれないが、そうした素振りを見せるものもまずいなかった。
 小学校1年からずっと一緒に学年が持ち上がってきた連中だから、お互いの能力は黙っていても検討がつくのだろう。
 勉強は嫌いだが、学校で皆とだべり、騒ぎ、遊ぶのがたまらなく楽しいといった連中の集まりだった。
 わたしがクラスの中で最初に仲良くなったのは梅木だった。
 チビ同士で席が隣り合わせになったのが縁である。
 梅木は野球の6カ村対抗試合ではキャッチャーをやり、駅伝では上り坂を任されるなど、スポーツを得意としていた。
 その彼はクラスの新参者であるわたしに、なにかとに気をつかってくれた。
 昼休みになると、どこからかグローブを2つ持ち出してきてキャッチボールに誘った。
 ときには、下駄箱の横に備えてある卓球台でプレーしている下級生を追い払って、わたしにラケットを握らせた。    
(布製グローブ『昭和二万日の全記録』講談社)
 その梅木に、わたしはひとつ負い目を持っている。
 例のごとく、昼休みに宿直室の横でキャッチボールをしていると、畳敷きの真ん中に碁盤と碁石がすえ置かれているのが目に入った。
 わたしが五目並べに誘うと、彼はすぐのってきた。
 宿直室に上がり込み、碁盤をはさんで碁石を打っていると、そこへクラス担任の女の先生が通りかかった。
 「あんたたち、なにやってるの」。
 語調はさほど厳しくなかったが、わたしたちをとがめるニュアンスが含まれていた。
 梅木が「五ちょう並べをやっちょるとこです」元気に答えた。
 遊びといっても五目並べだから、なにも悪びれることはない。
 しかし、先生があまりいい顔をしていないのに気付き、2人はそそくさと切り上げた。
 宿直室を出ると、女先生は梅木と少し離れたところに立ち、わたしをそっと手招いた。
 「梅木君にあんたが誘われたんでしょうが、五ちょう並べか何か知らないけれど、大人の真似なんかしちゃ駄目ですよ!」
 生徒の間で“どんぶり鉢”とあだ名されているこの先生に、
 「誘ったのはぼくです!」と、喉元まで出かかったが、彼をかばっているとしか受け止められないだろうと、思いとどまった。
 五目並べは悪い遊びではないし。
 学校側では、まじめな生徒と、ふまじめな生徒を判別する基準のようなものを持っていた。
 ひとつは登下校時。ズックの肩かけカバンを、たすき掛けにしている生徒はまじめな子、片方の肩にだらりと垂らして歩く生徒はふまじめな子。
 2つ目は制帽。学生帽の天井に丸い鉄線の輪をはめ、天井を丸く平に見せるのが、生徒間で流行っていた。こういう帽子を被っている生徒は、ふまじめとみなされた。 
(書店前の風景『敗北を抱きしめて(上)』岩波書店)
冬になると毎朝、農協の前で大人たちが焚き火を囲み、世間話に花を咲かせていた。
 農協前が通学路にあたる生徒の中には、登校途中にこの大人たち輪に加わり、始業時間ぎりぎりまで粘っているものがいた。
 先生たちがもっとも嫌っていたのは、この3つ目の行為だった。
 ときたま、どこそこの家で、きょう何時ごろ “馬の種付け”があるといった類の情報が教室に持ち込まれることがある。
 情報源は、おそらく大人たちの世間話の中にあるのだろう。
 性的好奇心の強い生徒たちは、こうした情報がもたらされると、放課後の掃除もそこそこに脱兎の勢いで目的地に駆けていった。
 梅木の話をもどすと、彼の通学路は農協の反対方向で、いつも長身の西本と連れだって登下校していた。
 2人は、ともに丸い鉄線入りの帽子に、カバンをだらりと垂らす組だったが、しゃきしゃきとしたタイプの植木に対し、大柄な西本はおっとりした性格のように見えた。
 この大小コンビが肩を並べて歩く姿を、はたから眺めていると、肩で風を切って歩く小の植木が、おとなしい大の西本を従えているかのように見えるのである。
 「(学校で)悪さ(いたずら)が見つかると、先生はなんでもワシのせいにするんじゃけえ。いやになるよ」
 梅木はこぼしていたが、やんちゃで、ちょっと見に生意気なところが遠因の一つではなかろうか。
 わたしたち山の中学生は、学校側の3つの判別基準をクリアしていた。
 よそ者は目立たないようにするのが賢明だと、暗黙のうちに了解し合っていたからである。



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