第1章 満州国崩壊の序曲(9)

2005年06月08日 21:11

 不通の列車を待ちわびる

 <敵機上空偵察頻繁、東満侵襲、ソ軍国境突破、綏陽(スイヨウ)東安地区侵入ノ報至ル>

 えきまえ 駅前付近で適当に時間をつぶして駅に戻ると、相変わらず列車は不通で、いつ来るかわからないと言う。
 われわれはあきらめず、また時間つぶしにでかける。
 そうしている間に列車が入り発車してしまっていてはと気が気でない。だが、駅に戻ると結果は同じ。こんなことを2、3回繰り返しただろうか。
 寮にもどれば自分の寝具はそのままだから、適当にあきらめて寮に戻ればよいのだが、4人とも家に帰ることしか念頭になかった。
 すっかり疲れ果てて駅に戻ると、改札口の前で紳士風の中国人が新聞紙を床に敷き、手提げカバンを胸に抱きかかえ、1人ぽつんと座り込んでいた。
ぎんれいがい この中国人は、ふだん見かける〝満人〟(当時の日本人は満洲に居住する中国人を蔑視(べっし)を込めてそう呼んでいた)とは違い、身なりもそうだが、ある種の風格と気品が備わっていた。
 職業は見当つかないが、満人の中では裕福な知識階級に属していることは明らかだ。
 歩き疲れていたわれわれも彼にならって、その後に並び床に尻を下ろした。
 ぼくは戦闘帽を脱ぎ、雑嚢(ざつのう)を肩にかけたまま膝をかかえ、うずくまった。

 〈軍関係者並ビニ満鉄社員子弟ニシテ父兄同伴疎開願出者ニ対シ之ヲ許容、併セテ南満地区父兄居住ノ生徒ニ緊急帰省手配〉

 ぼくたちは、学校で上記のような通達がでていたことを知らなかった。だが、この日の牡丹江駅の状況から判断すると、南満地区の生徒が独力で自宅に帰るのは容易ではなかったのではなかろうか。
 
 『闘わざる覆面軍』(毎日新聞、北崎学著)によると、
 開戦第2日(10日)を迎えた牡丹江は、まだ危機が迫ったような感じを与えていない。
 しかし、正午近くになると、一部に動揺の色が見えだした。軍が命令でその家族を南方へ避難させだしたからだ。
 軍の家族の引揚に刺激されて、こんどは満鉄がお手のものの列車を仕立てて家族の引揚をはじめた。  この日ついに最後の根こそぎ動員が行われた。男という男はほとんど招集されて聖林せいりん) 小学校にカン詰めにされた。

 深夜の駅に避難列車

 その夜の牡丹江駅一帯は、ソ連機の空襲に備えて灯火管制がしかれていた。
 長方形に横たわった一部2階建ての駅舎は、夜来からの激しい雨で漆黒(しっこく)の闇と、静寂(せいじゃく)につつまれていた。
 白壁の外観は雨でくすみ、駅舎全体が黒ずんで見えたに違いない。
 改札口の前に座り込み、深夜になっても来ない列車を待ちわびているうちに、ぼくはひざ小僧を抱えたままうたた寝していた。  戦車部隊
 すると突如、
 「お母ちゃん! おかあちゃん!」  子どもの張り裂けるような泣き声  「○○ちゃん! ○○ちゃん!」  母親の半狂乱に近い叫び声。
 絶叫とも叫喚とも悲鳴とも形容しがたい喧騒(けんそう)が、暗黒の駅構内を飛び交い、闇夜を引きさいた
 満州東部の国境方面から、日本人の避難民を満載した列車が、ソ連軍の攻撃を逃れ、命からがら牡丹江駅にたどり着いたのだろう。
(写真は『戦記クラシック 満州国の最期』太平洋戦争研究会編、新人物往来社)

 おそらく、15、6両編成の無蓋貨車にすし詰めにされた千人を超える老幼婦女子が、暗闇のプラットホームにあふれ出て大混乱に陥っていたに違いない。
 うたた寝していたぼくは、それをどこか遠くの出来事のように夢うつつの中で聞いていた。
 学校での肉迫攻撃訓練や列車待ちなどの疲れで、斉藤らも同じように睡魔に襲われていたのだろう。
 だれ一人、プラットホームの方まで確かめに行くようすはなかった。
 夢うつつのなかで、どれほど時間が過ぎただろうか。
 それまで闇の中を飛び交っていた叫喚やどよめきが、いつしか潮を引いたように消え去っていた。
 すべてが夜のとばりにつつまれた構内は、またもとの静寂に戻った。
 沛然(はいぜん)たる雨音を残して――。


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