第6部 戦後の開拓地で(9)

2007年06月16日 16:22

 密航船で島に置き去りに

 父は内地に引き揚げて一段落すると、密航船で朝鮮に渡り、あとは陸路鉄道を利用して満州に入ろうと目論んだ。
 京城で生まれ育った父は、朝鮮語力に自信を持っていて、朝鮮人相手に会話していると、「お前は日本人でなく、朝鮮人でないか?」と、疑われるくらいだったと自慢していた。
 その過信が災いする。朝鮮人の民族服で扮装(ふんそう)し、密航船に潜り込み、出航したところまではよかった。
 ところが、船上で日本人であることがすぐにバレ、もう1人いた日本人と2人、途中の島に置き去りにされたそうだ。
 その島では船の便がほとんどなく、10日ほど何儀(なんぎ)したすえ、やっとの思いで日本にたどりつけたとか。
 後日、清叔父から聞いた話では、密航船の中では誰にも話しかけられないよう、船内の片隅に隠れるように小さくなっていた。
 手には朝鮮人の持つ特有の長いキセルを持っていたそうだ。
 より朝鮮人らしく変装できると思っていたふしがある。
 わたしのイメージでは、長いキセルをくわえているのは、長い顎鬚(あごひげ)を垂らした年寄りの姿だ。
 タバコを吸えない父の喫煙者に対する劣等感(?)が、キセルを意識させたのかもしれない。
 が、わたしが想像するには、かえって不均衡で怪しまれかねないように思える。
 こうした努力もむなしく、「ここに日本人がいる!」と騒がれ、もう1人の日本人ともども島に降ろされる。
 ところが、結果的にはそれが幸いしているから、運命とは分からないものだ。
 そのころの朝鮮半島の様相は激変していた。
 満州に行けるどころか、朝鮮半島を北へ向かって縦断するなど、とんでもないことだった。
 当時の朝鮮北部の惨状は、次の『証言 京城への途』に詳しい。
 筆者は、日本海側の北端近くにある“会寧”から“京城”まで約840?に及ぶ逃避行に、8月13日から2カ月近くかかっている。
 列車なら所要時間約28時間である(昭和14年ごろ、ハルピンと牡丹江間の355?が列車で約12時間で換算。当時は各駅の停車時間が長かったから、走行時間はもっと短かったであろう)。
 以下、『証言 京城への途 小島シマ(会寧から引揚げ)』(『別冊1億人の昭和史 日本植民地[1]朝鮮』毎日新聞社)より抜粋(文の中略は行換えで済ます)。
 朝鮮咸鏡北道会寧邑、それは私の生まれ育った所だ。
 8月13日夕方いよいよ出発となって、荷車に乗せられ、嬰児は行李に入れ、夏の最中だというのに湯たんぽを二つも抱かせた。
 9月1日、白岩にたどりついた時、すでにソ連軍は進駐しており、相当数の避難民が鉄道関係の宿舎に入り込んでいた。
 集落に設けられた朝鮮の人達の保安隊の検問所を通るたびに、所持金品物はだんだん減り、嬰児の大事なミルクを取り上げられた時は思わず涙がこぼれた。
 列車は咸興(カンコウ)・元山を経て連川(レンセン)に到達した。京城まであと50?だ。しかし列車はそれ以上先へは進まなかった。ソ連軍によって阻止され(略)、北へ後戻りし始めた。
 平康郡から金化郡へ、そして抱川郡へと歩き、幼い子供づれの一行に朝鮮の人達が宿や食事の世話をしてくれた手厚い温情はほんとうに有難く、終生忘れることははできない。
 加平郡で、この先にはソ連軍はいない。美軍(米軍)がいると聞いた時は、一同思わず胸をなでおろし、歓声をあげた。
 鉄道加平駅から毎日旅客列車で運行されている。数日後に京城に着けると思うと(略)なかなか眠れない。
 時は10月5日であった。

 ソ連軍侵攻と同時に、朝鮮北部から数多の同朋がこのような苦難の逃避行を続けているという情報は、日本内地にはまだ流れていなかったようだ。
 情報不足とはいえ父の行動は軽挙妄動というか、無謀というか、蛮勇というか、そのそしりは免れまい。
 満州に残した家族もそうだが、勤務先の海林(ハイリン)軍事郵便所のことも気がかりで、はやる気持ちを抑えがたかったのだろう。
 牡丹江近郊の小規模な軍事郵便所とはいえ、所長という職名を拝していた責任感もあったに違いない。
 後年、出身校の京城商業のクラス会にはたびたび出席していた様子だが、軍事郵便所の同僚を探したり会ったりしたという話は聞いていない。
ソ連参戦という未曾有の事変が勃発したときに、公用ならともかく私用で職場を離脱し、さらに過酷なソ連抑留も体験していない。
 この負い目は、戦後の生涯ぬぐいえなかったであろう。
(写真と地図は『別冊1億人の昭和史 日本植民地史<1>朝鮮』、軍事郵便貯金は『昭和二万日の全記録』講談社)



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