第5部 ハルピン浮浪(1)

2006年11月06日 11:22

 親切な鉄工所の中国人たち

 傅家甸(フーチャテン)と呼ばれる道外(タオワイ)では、日本人の子どもを見かけることはないらしく、鉄工所の中国人たちはオンドルの上で寝込んでいるぼくを珍しがって、ちょくちょくのぞきに来た。
 彼らは傅家甸の中国人街で菓子などを買ってきて、これは薬になるとか、これを食べると病気が治るとか、これは滋養があって身体によいとか、あれこれ口実をつけてすすめてくれた。
 さすが、古来から「医食同源」の考えを受け継いでいる民族である。
 そういった知識は豊富なようであった。
 オンドルの暖房と栄養のある食べ物の効果があってか、ぼくの病状はここに来てから1週間ほどで回復した。  ところが今度は母が熱を出して寝込み、母が直ると、次ぎは弟の順で発病した。
 しかし、いずれも1週間ほどの間隔で回復した。
 食事は朝夕の1日2回で、どんな食べ物だったか記憶にないが、空腹から解放され栄養分も補給されたからだろう。
 あのまま新香坊にいたら、母子3人は年を越すこともなく、広大な畑に並ぶ無数の土饅頭の中に埋もれていたはずだった。
 いま思い起こしてみると、発疹チフスや栄養失調による衰弱死は、睡眠の延長線上にあるかのようだ。
 おそらく、死に至るまで無意識状態が続き、その間、死の恐怖や病の苦しみを感じることもなく永い眠りにつくのではないかと思える。 
(上の写真は傅家甸の主道をなす三道街・四道街『写真集 ああ北満 北小路 健編』図書刊行会)

 この鉄工所で、ぼくたちにあてがわれた部屋は事務室も兼ねていた。
 寝床のオンドルは床が高くなっているが、あとは土間で窓際に事務机が2つほど並んでいた。
 鉄工所では社長に当たる人物をジャングイ(旦那)と呼んでいた。
 小柄な人物で黒くふさふさしたコサック帽と、同色の分厚いコートを着用し、長い煙管(きせる)でいつもタバコを吹かしていた。
 ジャングイは机に座ることはほとんどなく、オンドルと机の間の土場を動物園の熊のように行ったり来たりし、タバコを吸いながら、ところ構わずたんやつばを吐き散らすのには閉口した。
 頭を土間側に向けて寝込んでいたぼくは、枕元のジャングイの動きが気になってしかたなかった。
 ジャングイは、住み込みの条件に子ども2人連れは承諾したものの重病の子どもを連れてくるとは予想もしなかっただろう。
 内心にがにがしく思っていたに違いない。
 だが、そこは中国人だ。ジャングイは「没法子」(メイファーズ、仕方がない)とあきらめたのか、母はなにひとついやみも言われなかったようだ。
 中国人の「没法子」は、日本語の仕方がないとはややニュアンスが違うようだ。
起こったことを今さらとやかく考えてもしょうがないといった、諦観(ていかん)にちかい気がする。

女中とマーイヤ
 
 母が寝込んでいるときだった。
 近くの中国人街で肉まんを買ってきて欲しいと頼まれた。
 積み上げた蒸籠(せいろう)から、肉まんをふかす湯気が立ちのぼっている店先に立ち、中に声をかけた。
 「あんた日本人の子?!」
 弾んだ声といっしょに、坊主頭の女性が飛び出てきた。
 その女性の全身から、日本人に会えた嬉しさと懐かしさがこみ上げてくる様子が、確かな感覚でぼくに伝わってきた。
 帰ってそのことを母に告げると、店の場所をきくのもそこそこに、病人であるとは思えないような勢いで飛び出て行った。
 肉まん屋の女性は開拓団の人だった。
 話によると、その店の主人が夜な夜な彼女の寝床へ忍び込んでくるので困り果て、そのことを主人の妻に言いつけるが、妻は怒りもせず、ただニヤニヤ笑っているだけという。
 満洲の習俗に精通した人によれば、満人の「女中」というのは「嗎呀(マーイヤ)」のことで奴隷のこと、性関係はつきものなのだとか。
 この人の自叙伝に、次のような事件が書かれている。
1週間の約束で女中に行った日本人の娘が、夜の相手をしないといって、左手の指2本を中ほどから包丁で叩き切られ、鮮血はしたたり、右の目は殴打されたらしく眼球が飛び出たようなその姿は生き地獄の形相である。(中略)
 「たったいま娘が来たろう」
 事務室の入り口に出刃包丁を引っ提げて仁王立ちになった中年の満人が怒鳴った。
 「知らないね。娘は来ないよ」(中略)
 「よろしい、娘の代わりの女中をくれ 嗎呀的我」
 「嗎呀は駄目だ。日本人はそんなことしない。日本の女中とマーイヤとは同じでない」
 (『敗戦の傷跡―第二次世界大戦満洲悲話―』前田庫雄著 菜根出版)
 同じ漢字でも日本と中国で意味が違うことがあるくらいは、小学校のころのぼくたちでも知っていた。
   例えば「汽車」は中国語では自動車のことで、汽車は「火車」と書く。
 満洲にきたばかりで中国語の分からない若い奥さんが、紙に漢字で「玉子」と書いて「これを売って欲しい」と見せたら満人の男がびっくりした。
 そんなもっともらしい話を、小学生の分際で得意がってするやつもいた。
 話はついでだが、ぼくたちは中国人の小孩(ショウハイ)たちと口喧嘩になると、「マーラガピー」、「ニーデ サイコ、サイコ カンホージ」といって、からかったものだ。
 日本語に訳すのははばかれるが、そのころは意味もよくわからず口にしていた。
中国人の悪口は、性器やセックスにまつわる用語が多いのだろうか。
それに比べると、「バカ」、「アホ」、「間抜け」などは、まことに簡潔で清潔きわまりない気がする。

 話をもとに戻す。
 先の開拓団の女性は「マーイヤ」と誤解されるような雇われ方をしているわけではないが、店の旦那を毎夜、拒絶していても万が一の危険は絶えない。
 母は早速、鉄工所のジャングイに彼女の働き口を頼んだ。
 ジャングイは、隣の金持ちの知人を紹介してくれて、彼女はその家で住み込みの条件で働くようになった。
 彼女はその金持ちのジャングイに、母がうらやむほど大事にされ、翌年の内地引き揚げまでずっとそこで働いていたそうだ。 
(上の写真と文は『満洲鉄道まぼろし旅行』川村湊著 文藝春秋より)


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